コラム・エッセイ
(93)長者ヶ森
再々周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
美祢市の秋吉台カルストロードを走っていると、石灰岩と草紅葉が続く風景の中に突如として木々の塊が現れる。あきらかに周辺から孤立しているかのように見える異質な風景こそが長者ヶ森と呼ばれる場所である。
なぜか不思議な雰囲気を漂わせているその場所は、カルストロードを走りながら見ることができるが、自動車ではその場所に行くことができない。行くためには、長者ヶ森駐車場に車を停めて遊歩道を歩くほかない。
と言っても、わずか5分程度の距離である。保守用の車が通る広い道を進んで行くと長者ヶ森の端に着く。そこが入口のようになっているので、そのまま森の中に入ることができる。中には、独特な空間が広がっている。
多種多様な樹木が生育する原生林が長者ヶ森(ちょうじゃがもり)と呼ばれるに至った理由については、かってこの地に長者が住んでいたとする言い伝えが残っている。その長者の正体については、諸説があるらしい。
長者とは金持ちのことであるが、長者ヶ森の中の祠(ほこら)が美東町鳶(とび)の巣にある前野家のものとされていることから、秋吉台周辺で栄えていた青景銀山や長登銅山などと関係していたものと考えられる。
また、『山口の伝説』(角川書店)などによると、壇ノ浦の戦いから逃れた平家の武将であった大田芳盛とその家来が、大山と呼ばれた原生林のあるこの台地に住み着いて開拓し、次第に勢力を広げたとされている。
ところが、三代目のころ一族の間で争いが起きたことなどから火事になり、大山も六日七夜の間燃え続け一帯が焼け野原になったという。今の森は、江戸時代になって子孫が先祖をしのんで居館跡に植えたとされる。
いずれの言い伝えにも確証となるものはない。しかし、石灰岩と草紅葉が続く秋吉台の美しい自然を見ることができるのは、先人たちの努力のたまものである。その中に平家伝説があることを忘れないようにしたい。
