2026年05月28日(木)

コラム・エッセイ

(97)池の浦

再々周南新百景 佐森芳夫(画家)

 柳井市阿月と熊毛郡上関町との境にそびえる標高約526メートルの皇座山(おうざさん)という山がある。その皇座山は、合戦に敗れて逃げる途中で安徳天皇が山頂でひと休みしたのでこの名前になったと言われている。

 しかし、江戸時代に編纂された『防長風土注進案』上関宰判の伊保庄には、大座山の麓にあった池ノ浦の大池で戦いが行われたことは書かれているが、安徳天皇に関することや皇座山の名は見つけることができない。

 もしかすると、『防長風土注進案』が編纂された江戸時代以降に新たな内容が加えられたことが原因になっているのかもしれない。さらに、その言い伝えの内容から「大」の字が「皇」の字に変わったとも考えられる。

 いずれにしても、『平家物語』には、屋島の戦いから壇ノ浦の戦いに至るまでの途中についてはほとんど書かれていないので、皇座山の言い伝えの信ぴょう性は別にしても、非常に貴重な言い伝えと言えるであろう。

 これらの言い伝えの原点になっていると思われるのが、『防長風土注進案』に古戦場として書かれている池ノ浦である。そこには昔大きい池があり、屋島から壇ノ浦にくだる平家が源氏と激しく戦った場所でもある。

 平家の船が大島あたりから池ノ浦の松原を見て船をこぎ寄せると松蔭に大きな池があった。そこで、池の堤を切り抜いて船を乗り入れて隠れることにしたが、あえなく源氏の兵船に見つかり、激しい戦いが始まった。

 平家はその戦いに敗れ、多くの軍兵が命を落としたという。それでも、一部の軍兵は、大座山の急斜面を登るなどして各地に逃れたとされている。池ノ浦周辺には、戦いに関する多くの言い伝えの場所が残されている。

 室津半島の先端部分に池の浦道路公園がある。この公園からは、今は荒れ地となっているが、かって合戦が行われたとされる大池の跡や平家が壇ノ浦にくだる途中で船をこぎ寄せた池の浦の海を見ることができる。

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