コラム・エッセイ
(96)原尻の滝
再々周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
穴森神社から車でおよそ30分離れた豊後大野市緒方町にある、緒方三郎維義の館跡(やかたあと)を訪ねてみた。国道502号線沿いには、「豊後武士団の頭領、緒方三郎惟栄館跡」などと書かれた大きな看板がある。
そこで気づくのが、名前の違いであろう。平家物語では緒方三郎維義と書かれている名前が、この看板では緒方三郎惟栄となっている。維義と惟栄の違いがみられるが、どちらも正しく、いずれも「これよし」と読む。
また、その他にも、惟義、惟能などの名前がみられるが、その理由については明らかではない。おそらく、この時代には出世することなどで名前を変えることが多くあったので、そのことが関係しているのであろう。
その維義が住んでいたとされる館跡には、遺構が残されているわけではなく、空地が広がる一角に大正時代に焼失したとされる緒方神社の石鳥居や緒方三郎惟栄を顕彰する記念碑、史跡記念塔などが集められている。
これらの緒方三郎惟栄を顕彰する記念碑や史跡記念塔などからは、平家にとっては源氏に寝返った憎き者であった緒方三郎維義が、源氏にとっては平家を滅亡に追い込んだ英雄であったことを改めて知ることになった。
しかし、英雄であったはずの緒方三郎維義であったが、その後の源頼朝と源義経との争いで義経に味方したことによって捕らえられる。そして、上野国沼田(群馬県沼田市)に流刑となり、歴史から姿を消していった。
それは、『平家物語』に「盛者必衰のことわりをあらはす」や「たけき者もついにはほろびぬ」と書かれているように、いかに勢いがある者であっても、いつかは必ず滅びるときがくることを伝えているのであろう。
館跡の近くに大分のナイアガラ、九州のナイアガラと言われる「原尻の滝」がある。ありふれた風景の中に、突如として現れる落差のある巨大な滝に目を奪われた。その感動の中で、伝説を訪ねた大分の旅を終えた。
