2026年05月28日(木)

コラム・エッセイ

(100)赤間神宮

再々周南新百景 佐森芳夫(画家)

 「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」源平の合戦で安徳天皇を抱きかかえて壇ノ浦に沈んでいった二位尼の辞世の歌が、みもすそ川公園にある「安徳帝御入水之処」の石碑に刻まれている。

 寿永4年(1185)3月24日の正午ごろ、関門海峡で源平の戦いが始まったとされる。海峡の潮の流れに乗って優勢に戦いを進めていた平家であったが、午後3時頃になって潮が逆流すると形勢も逆転していった。

 そして、追い詰められた平家は、最後の時をむかえることになった。「女なりとも敵の手にかかるまじきぞ」幼い安徳天皇を抱いた二位尼は、腰にさした宝剣と脇にはさんだ神璽(じんじ)とともに海に沈んでいった。

 神璽とは、三種の神器(じんぎ)のうちの八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことであるが、波に浮かんでいたところを取り上げられる。しかし、宝剣(くさなぎのつるぎ/草薙剣)は、深く沈んで見えなくなった。

 内待所(ないしどころ)と呼ばれた八咫鏡(やたのかがみ)は船の上で収められていたが、宝剣は海女などによって探したが見つかることはなかった。「龍宮に納められたのであろうか」と平家物語には記されている。

 建礼門院は、壇ノ浦の戦いで海に入ったところを源氏に引き上げられる。捕らわれて明石の浦に着いた夜に、夢とも幻とも分からないなかを渚に出て西に歩んで行き、金銀七宝を散りばめ瑠璃をのべた宮の内に参った。

 そこには安徳天皇をはじめ一門の人々が並んでいた。ここはどこかと聞けえば、二位の尼が「これは、龍宮城」と答える。龍宮城とは、『古事記』などに書かれている海神(わだつみ)が住んでいる宮殿のことである。

 壇ノ浦に沈んだ宝剣は、大蛇が安徳天皇となって源平の乱をおこし龍宮に取り返したと『源平盛衰記』に書かれている。竜宮城をイメージして建立された赤間神宮の神門(水天門)のすぐ目の前に、その壇ノ浦がある。

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