2026年05月02日(土)

コラム・エッセイ

(88)安徳天皇墓所

再々周南新百景 佐森芳夫(画家)

 「フェリーみしま」が、鉄分で茶色に染まった硫黄島の港に入港した。観光案内所でキャンプ場の利用受付を済ませて、すぐ近くにあるカルデラの断崖絶壁がそびえ立つキャンプ場内の芝生の広場にテントを張った。

 そして、安徳天皇の墓所があるとされる御前山(ごぜんやま)を訪ねた。壇ノ浦の戦いで亡くなったとされる安徳天皇であるが、その一方で、逃げのびて、65歳で亡くなるまでこの地で暮らしたと伝えられている。

 樹木におおわれた墓所への入口は、案内板がなければ見つけることができないと思えるほどの場所にあった。苔が生えた狭い道を進んだ先の樹林の中に、数人の従臣とともに安徳天皇とされる陵墓が建てられていた。

 その驚くほどの清楚な造りからは、ひそかに隠れ住んでいたであろうことが強く感じられた。ただ、墓のそばに立てられた名板には、一ノ谷の戦いで戦死したとされる平業盛、平経正が含まれるなど不明な点も多い。

 安徳天皇は、逃亡の主導者であった平資盛(たいらのすけもり)の娘である櫛匣局(くしげのつぼね)を后としたとされている。櫛匣局は隆盛親王(たかもりしんのう)を産み、その後、子孫がこの地で暮らしていた。

 櫛匣局の墓所は、なぜか少し離れた場所にある。また、隆盛親王の説明には、長濱吉英の名前が併記されている。これは、隆盛親王が平吉盛の養子となり長濱家を興したからである。その後は長濱家として生活する。

 安徳天皇の子孫とされる長濱家については、多くの言い伝えや資料が残されているが、『日本残酷物語』(平凡社)の第二部「忘れられた土地」には、こうした平家伝説の多くがのちの世の仮構であると書かれている。

 仮構(かこう)とは、「実際にはないものを想像で作り上げること」であるが、平家伝説のすべてが仮構として否定されたわけでは決してない。真偽のほどは別にして、伝説から学ぶべきものは多くあると言える。

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