コラム・エッセイ
(74)樸玉の滝(あらたまのたき)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)林道とは名ばかりで、すぐに深い藪(やぶ)に行く手を阻まれた。県道には、「林道戻路川久保線」の道標が建てられていたはずであるが、かなり長い間管理もされず放置され続けてきたのであろう。
引き返すべきかと迷いながらも、荒れ果てた道なき道を倒木や竹をよけながら進んだ。やがて、見通しの効かない藪の向こうから熊よけの鈴の音をかき消すかのように水の流れる激しい音が聞こえてきた。
その音の正体こそが、『都農郡誌』(マツノ書店)に書かれている「樸玉の滝」に違いなかった。はやる気持ちを抑えながら慎重に進んで行くと、周囲をおおっていた薄暗い竹藪が途切れて一段と明るい場所に出た。
雑木のかすかなすき間からは、2月の上旬に対岸から見たことのある滝が、このところの降雨によって貯水量が増した菅野ダム湖に、激しい水音を立てながら再び沈んで行くところであった。
今回の目的は、この滝を見ることだけではなく、菅野ダムの湖底に沈んでいるかっての道路を湖面からたどることにあった。その絶好の場所こそが、この林道であったはずである。
さらに先に進もうとすると、これ以上の前進をあきらめる他ないほどの深い藪になった。やむなく県道8号線に引き返し、今度は川沿いから旧道の手がかりを探すことにした。
地図を読むことが得意ではないが、昭和24年の地図には当時の様子がありありと記録されている。阿田川から湖底に沈んだ菅野を通り松室に至る道路だけではなく、滝の位置まで知ることができる。
川沿いを探し歩いた結果、『須金村史』に大正12年の運転開始時にはフォードとシボレーであったと記された乗合バスが走っていたであろう旧道を、ついに発見することができた。
