コラム・エッセイ
(15) 南天の実
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)真っ赤に輝いている南天の実が美しい。冬枯れの風景の中で、いつもの年より多くの実をつけたであろうと思われる南天が、まるで寒さに耐えるかのように重なりあっている。
そんな風景を、過疎化が進み空き家が目立つようになった集落のいたるところで見ることができる。中には、家屋が崩壊した荒れ地に、人が住んでいたことを知らせるかのように残されているものもある。
それは、南天が「難を転ずる」とも言えることから、縁起木や厄除けとして庭に植えられることが多かったからであろう。特に田舎では、どこの家にも植えられているのが普通のことであった。
植えられていた場所は、鬼門にあたる北東方向が良いとされていることには関係がなく、各家によってさまざまだったようである。ちなみに、実家では、井戸の横や玄関先などに植えられていた。
その南天の実に毒があることを知ったのは、成人になってからであったが、実を食べることができないことは、子どもの頃から知っていたような気がする。誰かに教わったことに違いないであろうが。
その証拠に、南天の実を食べて具合が悪くなったという話は一度も聞いたことがない。ところが、実を乾燥させたものは、のどの荒れや咳止めに効果があるとのことで古くから生薬として利用されている。
確認のため果実を割ってみると、中から3片の大きな種が出てきた。そこで初めて、かなり厚くて丈夫な皮と大きな種を除けば、食べることのできる果実の部分がほとんどないことを知った。
今朝も、野鳥が南天の実をくわえて飛び立った。ともすれば、野鳥にとって南天の実が大好物と思われがちであるが、その少ない果肉に、もしかしたら食事以外の目的で口にしているのかもしれないと思った。 (画家)
