コラム・エッセイ
(22)重見天日(ちょうけんてんじつ)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)桜の花が咲き始めた。やがて満開になる日も近いであろう。コロナ禍ではあるが、まん延防止等重点措置が全国的に解除されたこともあって、桜の花が咲き誇る風景を楽しむことができるに違いない。
そして、わずか2カ月近く前の寒さに震えていた日のことを忘れていくのであろう。すでに、寒風が吹き荒れ、容赦なく雪が降りつけた風雪の日があったことですら、覚えてはいないかもしれないが。
しかし、それは間違ったことでは決してない。季節の移ろいは、すべての人間が平等に受けることができる権利であり、記憶に残るか残らないかを含め、どのように受け取るかは自由なはずである。
ところが、この神様から与えられた季節の移ろいを無理やり逆に動かそうとする愚かな行為が、今も世界の各地にあふれている。許せないのは、武力によってこれらの権利と自由が奪われていることであろう。
連日のように報道されているウクライナの惨状は目をおおいたくなる。そして、あたかも被害者であるかのように偽装し虐殺ですら正当化する侵略者に対しては、強い怒りがこみ上げてくる。
非情なロケット弾が向けられているのは、罪のない住民であり、命と健康を守るための病院ですら標的にされている。逃げまどう民衆の姿や恐怖に泣き叫ぶ声が侵略者に届くことはないのだろうか。
いかなる権力をもった独裁者であっても、季節の流れを変えることができないように、歴史を逆に戻すことも出来るはずがない。愚かな行為に下される審判は、すでに幾度となく歴史に示されている。
重見天日、「重ねて天日を見る」と読む。その意味は、苦しい状況を抜け出して再び良いほうに向かうことである。蛮行に天罰が下り、ウクライナに一日も早く平和が訪れることを願ってやまない。
