コラム・エッセイ
(23) 花冷え
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。冷たく澄んだ朝の空に「ホーホケキョ」、「ホケキョケキョ」の鳴き声が響き渡る。その聞き惚れるほどの見事な旋律は、何度聞いても飽きることがない。
なんとか声の主の姿を確認したいと連日のように待ち構えているが、今だに出会うことができていない。すぐ近くにいるように聞こえても、広い竹林や雑木林から見つけ出すことは至難の業といえる。
ところが、よくよく考えてみると、繁殖期のオスがメスを呼ぶために鳴いているのであって、人間に対して鳴いているわけではないはずである。わざわざ姿を現す必要がないのも当然と言える。
それにも関わらず、鳴く声に聞き惚れて無理やり見つけ出そうとするのは、ウグイスにしてみれば迷惑なことに違いない。ウグイスの恋路を邪魔するような行いは、無粋(ぶすい)の極みとも言えるであろう。
しかし、『最新俳句歳時記』(文藝春秋)に、「鶯(うぐいす)や餅に糞(ふん)する縁の先」の芭蕉の句が書かれていることからも、ウグイスが今では想像できないほど身近な鳥であったことが分かる。
俳句に詠まれているウグイスのフンは、けっして不浄なものではなく、古くから美顔料などとして使用されていたものである。かって、ウグイスを飼う人が多かったのも、このフンが目的の一つでもあった。
そして、「ケキョケキョケキョ」とウグイスが連続して鳴くことを鶯の谷渡りと言っていたことや、最近ではすっかり見かけなくなった竹で作られた鶯笛を吹いて遊んでいた子どものころを思い出した。
桜の花の満開を待っていたかのように、花冷えの日が続いた。山間部では、霜が降りたところさえあったという。寒さに身震いしても、寒さで桜の花が長く咲くと思えば決して苦にはならない。
