コラム・エッセイ
(26)竹落葉(たけおちば)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)風に吹かれて何かが舞っている。その舞い方は、趣のあるヒラヒラと言うよりも、激しく回転するグルグルと言った方がふさわしいかも知れない。よく見ると、舞っているのは黄色く色づいた竹の落葉であった。
多くの草木が芽吹き新緑に変わるころに、なぜか竹は枯れ葉を落とす。タケノコが成長する時季と重なることから、世代交代の大役を果たしたためと思われがちであるが、どうやら違うらしい。
掃いても掃いても落ちてくる竹の落葉に迷惑している人間にとっては、その方が怒りを少しだけでも収めることができるかもしれないが、黄葉した竹を観察すると新芽が出ていることに気付くはずである。
そして、一度にすべての葉が黄葉して散り落ちるわけではなく、上部の竹の葉から徐々に散っていき新しい葉に生え変わっている。冬の落葉樹のようにまる裸になることがないため非常に分かりにくい。
竹にとっては黄葉する今が「竹の秋」と言えるが、新芽にとっては今が「竹の春」と言えるのであろう。さらに俳句では、「竹落葉」が夏の季語とされているなど、それぞれ違った景色を見せている。
最近では、手入れもされず放置されたままとなっていることが多い竹林であるが、かっては住宅建築の資材や籠(かご)などの生活用品の材料となるなど、欠かすことのできない資源であったはずである。
ところが、生活環境の変化によって次第に価値を失い、今ではタケノコだけが季節の食材として利用される程度になっている。一時期は竹炭として再生されていたこともあったが、継続は難しいという。
これだけ身近な存在でありながら、竹が植物であることはほとんど知られていない。時には竹落葉を眺めながら、竹に思いを巡(めぐ)らせることができる「心のゆとり」が必要なのかもしれない。