コラム・エッセイ
(91)「大都会」風景
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)「大都会」は、かって憧れの場所でもあった。テレビドラマやヒット曲の題名になったことも関係していたのかもしれない。ところが、最近では当時ほどの魅力が感じられなくなってきた。歳を取ったからであろうか。
それでも、数年ぶりに大阪の街の風景を目の当たりにすると、大都会という言葉がぴったりとする。地上では、すでに空中都市になったかのように高層ビルが乱立し、地下にはまるで網の目のように街が広がっている。
そんな風景は、自然豊かな場所から来た者にとっては、無味単調なものにしか見えなかった。ところが、駅近くのホテルからタクシーで大阪城観光に向かう途中で、思いがけず本当の大阪の姿と出会うことができた。
ホテルに手配してもらったタクシーの運転手が、通り過ぎていく街の名前や云われなどを親切丁寧に説明してくれた。そのほとんどの地名は、意外にも、文学作品や歌謡曲などで一度は聞いたことのあるものであった。
曾根崎、中之島、堂島、心斎橋筋、御堂筋、船場(せんば)、日本橋、谷町などあげればきりがない。その中で、相撲界の隠語「タニマチ」という言葉の由来となったのが、谷町(たにまち)であったことを初めて知った。
街路や街並みが当時とは大きく変わっているにも関わらず、古い地名が今も残されていることに、多少のうらやましさを感じた。戦災復興によって市街地のすべての地名が消え去った旧徳山市とは、大きな違いがある。
大阪城天守閣は、海外からの観光客でひしめきあっていた。天守閣の展望台から見える大阪ビジネスパークなどの超近代的な風景が外国人観光客にどのように見えているのか、どう受け止めているのかを聞きたかった。
近くの大阪歴史博物館にも足を運んた。展示されている大阪の古代から現代までの資料や博物館から見える大阪城公園、難波宮の大極殿など新旧が入り混ざった風景には「大都会」大阪の懐の深さがあふれていた。
