コラム・エッセイ
(92)ジャズを聴く
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)今年の正月、持っていたすべてのオーディオ機器を処分した。その主な理由は、体力とともに聴力が落ちてきたことにある。その衰えは、ある日突然やって来るものではなく、気づかないうちにゆっくりとやって来る。
毎日聴いていたものが、2日になり、3日になり、徐々に少なくなっていった。ついに、自慢のラックスの管球式アンプに灯が入ることも、憧れであったタンノイのスピーカーから音が流れることもなくなっていった。
狭い部屋を占領する多くのオーディオ機器を眺めるのが生き甲斐でもあった。それらのすべては、強いこだわりがあって手に入れたものばかりである。どれ一つとして、手放すことなど一度も考えたことはなかった。
それでも、別れがやってきた。未練がないとは決して言えない。スッキリとした部屋に、長い間背負ってきた重荷を降ろしたような爽快感があったことを素直に認めることはできなかったが、気持ちは少し楽になった。
これまでも、うすうす感じていたことではあるが、音楽というよりも音質にこだわり過ぎていたのだろう。それは、残念ながら、オーディオ機器が作り出した音を本物の音として錯覚していただけと言わざるを得ない。
9月10日、スターピアくだまつ大ホールで、第12回周南ジャズ・フェスティバルが開かれた。ゲストを含めて9組が出演するという大演奏会であった。演奏は4時間に渡って行われ、本物の生の音を聴くことができた。
各グループの演奏時間は20分という短さであったが、それぞれのグループがそれぞれの個性を惜しみなく発揮していた。そこでは音楽が演奏されているだけではなく、全演奏者の才能が花ひらく瞬間が広がっていた。
演奏がうまいとか下手とか、良いとか悪いとかの評価も必要なことに違いないが、それ以外にも、続けることに対する評価も大切ではないかと思う。そこには、音楽を好きでいられるための基本があるような気がする。
