コラム・エッセイ
周南新百景(20) 岩屋古墳(光市室積)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
平景清(かげきよ)は『平家物語』に藤原景清の名前で登場する。これは景清が本来、藤原氏であったためである。壇ノ浦の合戦などで平氏として参戦したことなどから、後に平氏姓で呼ばれるようになっている。
平家滅亡後は捕らえられ、絶食して果てたとされているが、定かではない。しかしその生涯については能や浄瑠璃、歌舞伎など多くの作品に取り上げられている。その古典での人気の高さを表すかのように、各地に景清に関する言い伝えが残されている。
県内では美祢市の景清洞(穴)や周南市の川崎観音堂が特に有名であるが、そのほかにも密かに語り継がれているものもある。その一つが、古野秀夫編著『光市地名考』に記された光市室積の岩屋古墳に景清が隠れたとされる伝説である。
岩屋古墳は、説明板によると七世紀初頭(古墳時代終末期)の円墳とされている。ほかの古墳と同じように横穴式石室は盗掘のためすでに開いた状態にある。玄室の奥行きは六・一六メートル、中央幅二・三四メートル、中央部の高さ二・六六メートルで、同時期に造営された石室としては非常に大きいものである。
この石室の大きさは、隠れるには十分な広さである。また位置的には国道188号からさほど離れていない場所にあるが、実際に訪ねてみると想像以上に深い山の中にあり、源氏の追っ手から逃れて身を隠すには最適であったに違いない。
かつて建っていたとされる弁財天の社への参道と思われる道を進むと古墳に到着する。そこで感じるのは、現在も完全に解明されていない古墳群に対する限りないロマンである。(画家)
