コラム・エッセイ
アカシアの雨に
ちょこっと豆知識 立入塾その日もアカシアの白い花が前日の雨ですっかり散ってしまっていたので、季節はちょうど今の時分だったと思います。高校を卒業して数年、所用で実家へ戻っていた私は、その用事もすませ、駅のホームの屋根越しに見えるアカシアの木をぼんやりと眺めながら帰りの電車を待っていました。
電車が来るまで少し時間があるのでホームは閑散としています。ふと隣のベンチに目をやると、見覚えのある中年の男性が同じ電車を待っていました。その横顔を確かめ、私はその男性の前に進んで行き、ちゅうちょなく声を掛けました。
「T先生、ご無沙汰しています。中学でお世話になったKです」怪訝(けげん)そうな顔で私を見上げた男性は「Tだが、君は?」と声を挙げました。「○○年卒のKです。T先生には部活でもお世話になりました。今は…」と話を続けました。
T先生は私が当時所属していた部活の副顧問を1年間だけ務められました。すでにそれから数年が過ぎ、たくさんいた生徒の1人なので、忘れられていても仕方のないことだと思いながら、少しでも自分のことを思い出してもらえればとアピールしました。
それに対して先生は「その年だとE君っていたよね。彼は本当に優秀な生徒だった」と口を開いたかと思うと、饒舌(じょうぜつ)にE君のエピソードを語り始めました。E君は成績もスポーツも学年トップクラスのとても目立つ存在で、当時強豪だったバスケットボール部の中心選手でした。
私は自分の知らない中学時代のE君の活躍話を駅のホームで聞くことになるとは全く思っていませんでした。「E君、今はどうしているのだろう。君知ってる?」と逆に質問を受けたところで、ホームに電車が到着するアナウンスが流れ始めました。私が急いで答えようとするより先にT先生はベンチから立ち上がり、電車の来る方へと歩き出していました。
それから数十年、T先生と会うことはありませんし、噂(うわさ)も聞きません。しかし、この時期になるとあの日のことを思い出します。ユーミン(松任谷由美)の「卒業写真」の歌詞に出てくる写真の主は、ユーミンの恩師とのことです。あの歌詞を聞く度に、T先生が私の反面教師として甦(よみがえ)ります。
