コラム・エッセイ
No.07 8月23日(日)②
〜ベトナム一人旅の記録〜 医療と福祉の国際協力の原点を求めて 記者・NPO国際ボランティアIMAYA理事 山上達也岩本理事長夫人の急逝に丁重な弔意
IMAYAのベトナム・フエにおけるカウンターパートは国立フエ医科薬科大学のOGCDC(遺伝カウンセリング・障害児支援センター)だが、両団体のきずなづくりに貢献したのが昨年11月に亡くなったIMAYAの岩本功理事長の奥様の故典子さんだった。
典子さんの急逝への弔意をOGCDCの女性のチャン・ティ・フォン・アン事務局長は心から表してくれた。あまりに丁重な弔意なので、フェイスブックの通話機能で周南市の自宅にいる岩本理事長に電話し、アンさんに代わったほどだ。アンさんは筆者のスマホを取って10分以上も岩本理事長と英語で話し込んでいた。
アンさんはフエの医学生や薬学生、歯学生へのIMAYA奨学金の継続を筆者に強く、丁重に要望した。その気持ちは筆者の心に熱く、大きく刻まれた。
楽しい時間は早く過ぎる。OGCDCの皆さんとの懇談はあっという間に2時間が過ぎた。日本語が通じるのは青森県出身のJICA(国際協力機構)海外協力隊員の工藤桃子さんだけだ。他の皆さんとは片言の英語か、スマホの翻訳アプリ頼みなのに、なぜかまともに話せた気持ちになる。
名残惜しいが再会を約束して会場のコーヒー店「Bee Coffee」を後にする。障害者の店員たちも筆者との別れを惜しんでくれた。OGCDCの男性スタッフのグエン・タイ・サンさんともがっちり握手し、再会を誓った。
日本レストランとカフェでJICA隊員と歓談
このあとは工藤さんとフエの日本食レストラン「ONES CASUAL BAR」で昼食。昼はレストランで、夜はバーに変わるという。日本人のご主人と日本語が上手なベトナム人の奥さんが経営している。ラーメンを食べたが、味は日本と全く同じ。
工藤さんとはフエのことやベトナムのことを山ほど話したが、まだまだ話し足りなくて近くのカフェに移動。ここでも2時間近く工藤さんと話し込んだ。
日本人から見たベトナムの国民性、JICAの海外協力隊員に対する住民の受け止め方、日本人会、特定の指導者が独裁体制を敷かないベトナム式の社会主義体制など話は尽きなかった。
X線検査で機内預け荷物のバッテリー見つかる
日本語を話したくても話す相手が2日間もいなかった筆者にとって、工藤さんとの日本語会話は楽しかった。
工藤さんはこれから市場で買い物をして帰宅するという。握手し、「お互いのフィールドでともに頑張りましょう」と健闘を誓った。
フエともここでお別れし、タクシーでフエ郊外にあるフバイ国際空港からベトナム航空の国内線でハノイ・ノイバイ空港に向かう。
フバイで搭乗手続きを済ませると「ヤムァギャミ タツゥヤ」と筆者の名前のような発音を繰り返す館内放送が何度も何度も流れている。係員にパスポートを示し「私のことですか?何か問題がありますか?」と問うと、X線検査で機内預けのスーツケースにモバイルバッテリーが見つかったという。保安官に謝り、モバイルバッテリーを取り出した。
館内の転倒防止の看板にはベトナム語で「CHÚ Ý」とある。読み方も意味も日本語の「注意」と同じ。ベトナムはもともと漢字文化圏なのだ。
「注意」を促す「CHÚ Ý」の看板
「Bee Coffee」の店員を励ますアンさん(左)
