コラム・エッセイ
官学がなんだ!!
随想 猫の目 吉原 雍先日、高校野球で地元桜ケ丘の野球部が大活躍するのを見て、2つの話を思い出した。
«①独立自尊の桜»
子どものころ本箱に「玉川子ども百科辞典」があった。父に聞いたら「源四郎がね」と言った。
源四郎というのは桜ケ丘高校を創立した故山縣源四郎さん。なぜか父は親しかった。
夕方会社から戻った父が「誰か来たかね」と母に聞く。「山縣さんが」と母が言うと「あ、源四郎が来たか」とうれしそうだった。
70年前、田畑だったあの辺の泥道を、源四郎さんが歩く姿を僕は今も覚えている。
当時の源四郎さんは、生徒集めや、資金、教員集めなどで頭がいっぱいで、一日中あちこち歩き回っていたのだろう。
聞けば昭和15年、戦争前に「人生は芸術だ」を掲げて、女子教育のために桜ケ丘を創立したというからすごい♫
とは言え失礼ながらその後何度も学校の売却や合併を考えた日もあったのではと思う。
だがそうせずに学校を守り続けたのは独立自尊の精神!!、建学の理想、そして関係者の協力のお陰と僕は思う。
«②百姓の渋沢と私立の一橋»
NHK大河ドラマ来年の主人公「日本資本主義の生みの親・渋沢栄一」は僕の母校「一橋大学の生みの親」でもある。
渋沢は埼玉の農家の息子(家業は藍玉の製造販売)だが、優秀で幼少から論語を学び、攘夷思想にかぶれて江戸へ。
➡縁あって一橋家の家臣に➡幕臣➡新政府大蔵省仕官。
➡下野して企業6百社、学校など設立➡「論語と算盤」で有名。
一方一橋大学は明治8年、私立商法講習所(駐米公使から帰国早々の森有礼が創立。銀座松坂屋前の味噌屋の2階。)
➡すぐに東京商工会議所管理へ。(経営委員が渋沢栄一、福沢諭吉ら。)➡やがて農商務省直轄へ。
➡明治18年、国立・東京高等商業学校➡大正9年、東京商科大学昇格。➡昭和24年、一橋大学。
ご覧になってお分かりの様に、渋沢も一橋大学も経歴が波瀾万丈。
渋沢は才能と人柄を認められ、百姓から幕臣まで大出世し、徳川慶喜隠遁後は、虎の威を借りて?新政府で重用。
一橋は私立から出発して国立専門学校、国立単科大学へと昇格した。
日本は当時商業教育に冷淡だったが一橋は「これからは経済の時代」「官製大学や法科万能主義がなんだ」の気風が強かった。
だから政府が「廃校又は東大と合併」と命じた時など、全学生1,500人が一斉に退学届を出して反対した!!
そんな自由と進取の一橋を明治8年から応援し続けたのが渋沢だった♫
(ギャラリー三匹の猫)
