コラム・エッセイ
渋沢栄一と一橋大学(続々)
随想 猫の目 吉原 雍《栄一は長生きした》
幕末明治期の大物政治家と言えば、竜馬や西郷みたいに大活躍して、さっと死んでゆく人が多かった。
栄一を一橋家に雇ってくれた大恩人の平岡円四郎も、水戸天狗党の水戸藩士に斬られた。
栄一も10年とは言え徳川慶喜の身近にいたから、何かと命を狙われても不思議ではなかった。
だが幸い栄一は長生きして昭和6年、92歳で大往生を遂げる。
もし栄一が軍事面で活躍していたら、長生きできなかったかもしれないが、彼は農家出身で軍事は2の次だった。
おまけに「今の日本では商業の地位は低いが、これから世界は経済、貿易の時代になる。そのために自分の能力を活かしたい」と信じていた。
栄一が一橋大学実現のために明治から大正まで45年間も力を貸してくれた話は前にしたが、この気持ちが原点だったと僕は思う。
もちろん一橋の前身「商法講習所」や「東京高商」「東京商大」の教授、学生も「世界の果てまで歩いた」情報、知識を栄一に伝えたことだろう。
《同窓会・如水(じょすい)会の名付け親》
大正8年、1919年、東京高商は同窓会の命名を栄一に依頼。(翌年、ついに日本初の国立の単科大学・東京商大誕生)
80歳の栄一は東京神田一橋の如水会館で講演した。以下僕の勝手な要約。
「礼記に(君子の交わり、淡きこと、水の如し)とある。
如水会の名はそこから引用したが、淡いだの、水だのでは、わが国のキャプテン・オブ・インダストリーとして活躍中の諸君は甘ちょろいと言うだろう。
また論語には(水はとうとうと流れ、常住不変である)とも書かれている。
もう一つ思い出すのは明治42年、アメリカのコロネル大学の午餐会に招かれた時の学長のあいさつ。
(万物は水なしでは生存できないし、発展できない。植物、動物みなそうだ。
今日はワインの代りにこの水を、珍客への祝杯としたい)
さて、諸君。私が思うには水は激すれば金城鉄壁をも突き破るが、春の風静かな日はさざ波も立たない。
諸君の経営する商業の姿も同じだ。いつも淡きこと水の如しとはいかず、ひとたび米価が騰貴すれば水は山へ駆けのぼり、静まればまた穏やかな姿になる。
経営は時に水を激昂させることもあるが、多くは水を平和に本性を尽くさせてやる、それが諸君の仕事だ。どうか日日、お心がけなさるように」
《遅くなりましたが、皆様残暑お見舞い♬》
コロナと病気、ケガご用心。オリンピック平和に♫
(ギャラリー三匹の猫)
