コラム・エッセイ
渋沢栄一と一橋大学
随想 猫の目 吉原 雍《一橋様》
NHK大河ドラマの「青天を衝け」が面白くて毎週見ている。
ドラマの主人公の渋沢栄一は僕の母校の一橋大学が大層お世話になった人だ。
その渋沢がドラマの中で「一橋様」と持ち上げるお方は、渋沢が取り立ててもらった徳川(一橋)慶喜のこと。
一橋大学も明治時代は慶喜の屋敷跡にあったので大学名になった縁がある。
《士農工商の身分制度》
話のついでにもう少し私見を述べよう。
江戸時代の士農工商の身分制度では、商業が最下位。侍にとってカネの話は一番卑しいとされた。
そして一橋大学の前身の「商法講習所(明治8年)や東京高等商業(明治20年)」は商業の専門学校だった。
彼らは主張した。
「世界経済と戦うには法律だけでなく商学や経済学が必要だ。
経済、財政、会計、金融、保険、統計、貿易などを研究する国立の専門大学を作るべし」
だが旧士族が中心で法科重視の明治政府から無視された。
「商業の専門大学など不要。東大に商学経済学部を作るから東京高等商業はそこに吸収せよ」
こうして「商学、経済学専門の国立大学を主張する一橋」と「拒む政府」の対立は明治8年の商法講習所設立から大正9年の東京商科大学設立まで45年間に及んだ。(笑)
《さて、主人公の渋沢栄一は百姓出身だが》
反骨心、向学心が強く、剣術の修業もし、倒幕の志士気取りで江戸に出てから、短期間の間に強運の花が一気に咲く。
①縁あって一橋慶喜に雇われ、武士に。
②一橋家の財政を再建し、才能開花し有名に。
③あれよあれよの内に慶喜が将軍になり、旗本に。
④人材不足もあって、パリ万博使節団(団長、慶喜の実弟)の一員に選ばれ渡欧し多くの人材を知り、世界の現実と財政の仕組みなど見聞。
⑤慶喜が大政奉還して隠居すると大蔵省に仕官し、じきに退官、民間人に。
《一橋大学との縁》
大蔵省退官後の明治8年、森有礼に頼まれ私塾の「商法講習所」の世話人引き受け。
それ以来、講習所が「東京高商に格上げ」し、やがて念願の「東京商科大学に格上げ」するまでの45年間、親身に世話をした。
時には近隣商工会議所や学校OBなどを率いて政府筋と掛け合ったという。
それを支えたのは反官学、反骨精神のほか、実学の大切さ、実力で評価される社会の実現、などではなかったかと僕は思う。
《梅雨明け頃オリンピックかな♪》
さてあと2週間もしたら雷がゴロゴロ鳴り、入道雲がモクモク出て、梅雨明け♪
そして「東京オリンピック開幕」かな。
(ギャラリー三匹の猫)
