コラム・エッセイ
あの日からもう80年
随想 猫の目 吉原 雍《昭和16年12月8日未明、ヒノデハヤマガタ》
と聞いて何のことかわかります?
ではニイタカヤマノボレ、トラトラトラは?
そう、ニイタカヤマは大日本帝国海軍の「真珠湾攻撃暗号」。トラトラトラは攻撃部隊の「われ奇襲に成功せり」暗号。
というわけで冒頭のヒノデは帝国陸軍の「マレー作戦暗号」で命名は瀬島参謀(シベリア抑留後帰国し、伊藤忠商事会長、中曽根内閣顧問)。
《バレバレの暗号》
実は真珠湾とマレー半島作戦のどちらの暗号も、事前に米国に解読されていた。
なのになぜ米国は日本軍の奇襲(開戦)を見逃がしたか?
当時米国の対日外交はもはや打つ手なしで、内心は開戦やむなしと考えていた様だが、国民は実状を知らずのんびりしていた。
そこで全国民に打倒日本のムードを醸成するために、あえて奇襲を見逃がしたとされる。
真珠湾効果は満点で、開戦後は日系人10万人を敵国人と見なし捕虜収容所に収容。日系人の名誉回復には数十年かかった。
《マレー作戦》
話を戻そう。陸軍のマレー作戦は「香港、上海、マニラ、マレー半島、シンガポール、ジャワ、ミャンマーを攻撃し英国、オランダ、フランス勢を駆逐する」ものだった。
本音は「石油が豊富なマレー半島確保」だったが、作戦は即日〜2か月間で大成功した。
《真珠湾より1.5時間早いマレー開戦》
余談だが元々「真珠湾とマレー半島攻撃は12月8日未明に同時決行」の予定だった。
だが海軍が「暗闇の準備は難しいので1.5時間延長」を要望し攻撃は遅れることになった。
知らされなかった陸軍は予定通り決行したので「本当の開戦は真珠湾攻撃の1.5時間前」だったのだ。
陸海軍が開戦直前にこんな大失敗をやったとは驚きだね。
《幻のシンガポール・ドラム缶会社♪》
話変わって僕の父が徳山鉄板時代の昭和16年から17年前半?にシンガポールに出張している。
今はもう確かめようもないが「ドラム缶会社建設計画」だったのではと僕は想像する 。
「陸軍の機密で死ぬまで他言無用」と釘を刺されたと思う。
「行きは船だったが帰りは敵の潜水艦がうようよおって危ないから飛行機じゃった」と何かの時に聞いたくらいしか父も話さなかった。
日本軍は開戦後の3、4カ月だけ優勢で、以後は負け続けた。
父たちが夢見た「シンガポールドラム缶会社」も束の間の幻に終わった♪
《最後に三匹の猫は》
今週17日(金)から「山本俊昭絵画展」♪
(ギャラリー三匹の猫)
