コラム・エッセイ
2・26事件追記
随想 猫の目 吉原 雍《春はあけぼの》
とまでは言わないが、先日、久しぶりに朝早く朝日を浴びた。
この1か月は数十年ぶりの大寒波で、ブルブル震えて過ごした。だが、見渡せばわが家の庭にも春が忍び寄っていたよ♪
花ユズはとうに盛りが過ぎて、何個か残った黄色い実に、小鳥がつついた跡が残っていた。
フキノトウも、もうそこら中に顔を出した。古木の白梅ももう5分咲きかな。
昔、毛利の殿から聞いた話を思い出す。
「左脳に朝日を当てると頭が良くなると元就が言った。僕も毎朝やっている」
効果は聞き洩らした。(笑)
《82年前、昭和11年のきのう》
先日も書いたが、少し補足しておきたい。
あの日、雪の東京にいた人の話。「雪中で兵隊が鉄砲を構えていて、何があったのか不安だった」
2・26事件。陸軍の一部青年将校たちが、兵士1,500人を率いてクーデターを起こした。
事件は天皇に対する反乱(=賊軍)と見なされ、天皇の名の下でたちまち鎮圧された。
首謀者の将校は全員「天皇陛下万歳」を叫んで銃殺された。また兵士は口封じのため極秘のうちに全員、満州に異動され、後に南方戦線に送り出された(という)。
《首謀者A大尉の》
息子さんが昔、僕と同じ会社に勤務していた。写真で見るA大尉みたいなぶ厚い眼鏡をかけ、いつもうつ向いて、ひざを曲げて歩いた。
いかにも辛抱強い東北人タイプの人で、彼の父親が2・26事件の首謀者だったなど、信じられなかった。
さて、事件は、陸軍内部の権力争いだったというのが一般的なようだが、僕はちょっと違う。
《当時の東北の農村は》
三陸大津波に襲われたうえに「天明、天保大凶作」以来の大凶作で、人々は木の実、草の種も食べつくし、娘を身売りする家さえあった悲惨な状況だった。
そして事件に関わった将校や兵士の多くがそんな農村の出身で、郷里の家族へ一生懸命に仕送りしていたという。
《だから彼らの決起理由は》
悲惨な農村を救えない「無能政府」と、天皇の名の下に戦争へ突き進む「陸軍」に対する「怒り」だったと僕は思う。
そう思って改めて資料を読むと、彼らの言動はひたすらに一途で、まるで幕末の志士みたいだ。
先述のA大尉も妻と幼い息子のいる身なのに、自分の信念のために一命を捧げた。
そんな生き方がいいと僕は言うのではないが、最近の日本の若者は、てこでも動かない。
《最後に三匹の猫》
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(ギャラリー三匹の猫)
