コラム・エッセイ
思い出す両親のこと
随想 猫の目 吉原 雍《歌人・与謝野鉄幹》
詳細は省くが、明治、大正、昭和の歌人、与謝野鉄幹は、17歳から20歳までの四年間、徳山に住んでいた。
徳山を離れてからも時々来たようだが、最後に来たのは亡くなる前年の昭和9年3月、63歳の時だった。
《徳山鉄板の社歌》
その時、鉄幹は櫛ケ浜の奈切にあった徳山鉄板(現・日新製鋼)の社歌を作りに来たというから面白い🎶
余談だが、徳山鉄板は大正5年ごろから稼働していて、昭和3年、徳山鉄板㈱の名で設立、東京と大阪の株式市場に上場された。
実は僕の父は長く徳山鉄板に勤めていて、鉄幹が訪れた昭和9年は34歳くらいだった。
当然、社歌や鉄幹のことも覚えていたはずで、聞いておけば良かったが聞き洩らした、残念。
《周南映画祭》
そんな話を思い出したのは先日の周南映画祭に与謝野晶子(鉄幹の妻)の恋を描いた作品が上映されたから。
あの夫婦は子どもを12人も作ったが、互いに自由奔放な恋愛もした。今なら連日マスコミで騒がれただろう。
その話は別の機会に譲るとして、鉄幹が昭和九年、鉄板の社歌を作りに来た時、太華山頂から徳山湾を見下ろして詠んだ歌がいい。
彼のあたり
二十の前の
我を知る
蛇島 仙島 黒髪の島🎶
《沼城小学校100年史》
戦争が近づくあの時代らしからぬ歌で、さすがは大歌人♪と思いながら、何か資料はないか、父の本箱を探してみた。
だが、目ぼしいものはなくて、代わりに「沼城小学校100年史」という数十年前の印刷物が目に留まった。
須々万の沼城がどうしたの?と思いつつめくると「第十代校長 中川敏亀」と、母の父(僕の祖父)の顔写真が載っていてびっくり。
胸騒ぎがしてさらにめくると母も出てきて二度びっくり。「昭和2年 訓導 中川八重」🎶(昔は教師を訓導と言った)
母が下松の小学校で教師をしていたころ、生徒を引率して歩く姿を父が遠くから見て(お見合い)、結婚を決めたと聞いていたが、沼城小でも教えていたんだね🎶
余談だが、父の家も教師が多くて、祖父なども維新後は熊毛で校長をしたらしい。
《それにしても、昭和九年ごろは》
日本が満州・上海事変、五・一五事件、国際連盟脱退、満州国設立など好き勝手にやったころ。
国内では日ごと思想や経済の統制、弾圧を強化し、世界の中で孤立を深めた時代だった。
どこか今も似ていないか‼
《最後に三匹の猫》
18日まで「藤永俊雄遺作小品展」開催中。胸にしみじみと響く数々の作品🎶
(ギャラリー三匹の猫)
