コラム・エッセイ
「タケノコの味」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修ソメイヨシノの花も散り、今は裏山に植えた山桜が盛りでまさに春本番だ。それにしても季節の移ろうスピードの早いこと。先日まで朝夕は上着を重ね着していたが、ここ数日の日中はまるで初夏の陽気で、一枚脱ぎ二枚脱ぎして昼前には半袖で過ごせるほどだ。
冬枯れで茶色だった野山も一気に芽吹いて新緑におおわれてきた。しばらく眠っていた草刈り機もまた出番が来たし、通りすがりの田んぼでは早々に水が入り、代掻き用にトラクターも動き始めている。温暖化のせいだろうか、極寒の真冬は確実に短くなり、春と初夏の区切りも曖昧になりつつあるが、一斉に芽吹く草木の躍動感に暦の上の新年とは別物の新たな一年の始まりを感じる。
遠い子供の頃のこの時期の風物詩といえば、親に連れられてのタケノコ掘りやワラビ取りを思い出す。タケノコは背負い、ワラビは手提げの編み籠に一杯になるほどだ。それらが連日のように食卓に並ぶ。正直なところこれらは好物ではなく嫌いだったが、他にこれといったおかずがあるわけでもなく、残せば怒られるので仕方なく食べてはいた。
当然、大人になっても積極的に食べたいと思わない。まちの人がタケノコはないかとやって来て喜んで持って帰るのが不思議で「子供の頃に一生分食べたので、初物を一回だけ食べれば十分」と返していた。
ところが歳を取って嗜好が変化したのだろうか、最近はそれほど嫌いではなくなってきたのに気付いた。先日来、まだ地表に出てこないのを足で探りながら掘ってきた。その後も気温も上がり地表に頭をのぞかせはじめたのも今のうちだと掘りに行く。料理は別として茹でるなら外でやろうと率先してカマドや鍋を出し、あく抜き用の糠も段取り薪も揃えて火の番をしている。
あれだけ嫌いだったのが今になって何故だろう?特別美味しいとは思わないが、何故か懐かしいような、春の味を待ちわびていたような期待感覚でカマドの火を眺めている。
今、世界は政情不安で原油の高騰が続き、先の見通せない日が続いている。備蓄が限られる国では燃料の節約どころか休業に追い込まれ生活に支障が出ているとのニュースを耳にする。改めて身の回りを見てみると衣食住の全てを石油由来の製品に頼り、それも安価で使い捨てが当たり前の生活に慣れきってしまっている。日本もこれから様々な物の値上げや品不足の影響で買い占め、売り惜しみ、便乗値上げだと不平不満に混乱するかもしれない。
山暮らしでタケノコを茹でるのも、風呂も五右衛門でエネルギーの自給率は高いと自負しているが、かつての子供の頃のようにエアコンもなく、真冬でも火鉢と掘り炬燵しかない鼻水を垂らしていた生活に比べれば贅沢の限りをつくしているのかもしれない。タケノコは少々の気付きと自戒の味がする。
昔はタケノコなんて嫌いだったが…
茹でるなら外でやろうと手作りカマドを出す。春の恵みに感謝
