ニュース
文化 : 周南市のニュース
「毛利秀就公 誕生の真実追究」 平山、田村さんが共著 宇部市小野誕生説定着へ
文化周南市下松市在住の県地方史学会理事、田村悌夫さん(84)と宇部市の毛利秀就公誕生地史跡保存会の平山智昭会長(91)の共著「長州藩初代藩主毛利秀就公 誕生の真実追究 総括版」が発刊された。
平山さんは元小学校長で、毛利輝元の子で広島城で生まれたとされる秀就が、実は宇部市小野で生まれたことを小野に残る史跡などを長く研究して突き止めた。
この真実を世に広めようと秀就公と徳山藩の初代藩主、就隆の母でもある「二の丸」様や二の丸を守った財間家ゆかりの現地の史跡を整備して石碑も建立した。田村さんは平山さんの小野誕生説を知り、その活動に協力している。
今回の「毛利秀就公」はA5判244ぺージ。これまでに平山さんらの研究の成果と活動を一冊にまとめている。
田村さんは前書きで、「小野村誕生説を定着させ、日本の歴史を正したい」と本書の出版の目的を述べ、今年2月に平山さんと一緒に防府市の毛利博物館の柴原直樹館長を訪問し、広島誕生説、小野村誕生説とも「保留」と言われたと紹介している。
同じく田村さんが執筆した「序章 歴史の真実を求めて」では、二の丸様は懐妊後、命を狙われる危険があったことから小野村に移されたが、小野村が外敵から守るのに要害の地であったことや、懐妊、出産に関係した人の子孫に伝わる文書などを取り上げて、現代の感覚ではなく、下克上や切腹があった秀就誕生の時代の思想でないと、なぜ小野で誕生したのか、判断できないと指摘している。
二の丸は周南市ともゆかりが深く、現在の周南市野上の領主、杉元宣の妻で周姫(かねひめ)と呼ばれていたが、輝元がこれを奪い、元宣は非業の死をとげた。このことから2014年には、周南市の元宣の墓がある興元寺に二の丸の石像が建てられている。
本は千冊を印刷して小野地区の住民や県内の図書館などに配っている。非売品。
13日(土)午後1時半から「毛利秀就公誕生顕彰大会」が宇部市小野のアクトビレッジおので開かれ、田村さんの基調講話や小野郷土史懇話会の会員による説明、シンポジウムなどがある。
問い合わせはいずれも田村さん(0833-41-4563)へ。
