コラム「一言進言」
解釈の違い?尊徳像を粗大ごみに
~道徳教育は難しい~
■インターネットの動画サイトで外国人記者が撮影した新幹線の清掃員たちの仕事ぶりが世界中からすさまじいアクセスぶりだと話題になっている。わずか数分で隅々まできれいにして、終わると全員、列車の外で丁寧なお辞儀をする。日本人の丁寧さ、礼儀正しさ、勤勉さに感動するらしい。これぞ日本が世界に誇れる日本人たる姿だと、知った私もうれしかった。
■先日の市内のラーメン屋でのこと。忙しい店内でそれでなくても騒々しかったが、一段とうるさく大騒ぎする三組の子ども連れの集団があった。父親らしき男性が子どもを喜ばそうと大声で歌ったり、奇声を発している。母親たちは自分たちだけでこれまた大笑いの連発。辺りかまわずの騒動に思わず眉間にしわが寄った。これが前述の世界に誇れる日本人の世界と同じ人種かと、悲しくなってきた。やはり両方、日本人なのだ。
■残念なことに、この傍若無人な親たちは決して悪い人間ではないのだ。子どもを喜ばそうと必死で、ただ、周りが見えていないだけだ。おそらく心優しい人たちなんだろう。教育は実に難しい。彼ら、彼女たちに迷惑をかけているという自覚は恐らくない。時の政権は道徳教育に力を入れると宣言した。道徳教育の難しさはこうした現象を見ればわかる。
■先日、周南市の櫛浜小の二宮尊徳像を、耐震工事のついでに捨ててしまおうと工事仕様書に記載があった。誰が決めたのか取材したが明らかにされなかった。校長は「今から道徳教育に力を入れようと考えている矢先で、捨てるなどあり得ない」と話していた。想像するに若い担当者たちの打ち合わせで、「もう土台も古いし、いらないでしょう」と撤去が決まったのだろう。
■問題は、彼らが二宮尊徳の実像を知らなかったことだ。多分、教育の現場で二宮尊徳を聞いたことは、ほとんどなかったのではないか。二宮尊徳(金次郎)は、早くに両親を失くし、苦学に苦学を重ね、貧しい農家のために農法はじめ多くの生活改良を考え、飢餓から脱出させた人物だ。強さと勤勉さと、世の中に役立つ人間をとの教えを説くための教材として取り上げられてきた。
■軍国主義とは無縁の人物だったが、それこそ解釈の違いで、戦争中は国のために働く人物として使われた経緯もあり、戦後多くの小学校から姿を消した。日本の子どもたちに誇れる偉人の一人だが、今は粗大ごみとして捨てられる時代になった。尊徳像を見て、スマートフォンを見ながら歩く子どもを想像する親たちの時代だ。これも解釈の違いの問題だ。
(中島 進)
