コラム「一言進言」
角栄さんみたいな井川さん
~時代が終わったか?~
■ある人が、前下松市長の井川さんは田中角栄さんみたいだ、と言っていた。父親を早くに亡くし、小学校しか行けなかったが、働いて会社を起こし、請われて市議会議員になり、日本最高齢の市長まで務めた。何が角栄かと言えば、その人心掌握術だと言う。相手の懐深くに入り、心をつかみ、味方にしていく。そのすごさが井川さんの魅力だと語る。
■井川さんの叙勲受章の祝賀会は盛況だった。久しぶりに多くの政治家も集った。東洋経済新報社の住みよさランキングで下松市が全国上位になった手腕を長い友人たちも我がことのように喜んでいた。職員への感謝も忘れなかった。企業家感覚を持った、最近ではまれな政治家だった。
■企業家と、そうでない市長の差はどこなのか。優先順位の付け方だ。行政マンを擁護する発想ではなく、顧客を守る視点を重視する。下松市は1976年に財政破たんしたが、最後まで職員の立場を守ろうとした結果だった。結局、職員の給与を据え置き、新規採用を7年間見送り、固定資産税を上げるなど荒治療をせざるを得なかった。
■井川前市長時代、水道料金を上げないため、予算のかかる地下配水池の建設に固執する水道局長を事実上、更迭した。それは他の職員に危機感を抱かせたはずだ。高村旧徳山市長は強権政治と言われたが、仕事を遂行できない職員、意に反する職員を次々とスポイルした。だからこそ、あの短期間に周南バイパスができ、新幹線は現在地に停まることができた。
■箱物は誰にでもできる。正月明けの互礼会が象徴的だった。木村周南市長のあいさつは新庁舎建設と駅ビル完成、それに水素事業の推進だった。お金を使えば誰にでもできる事業しか言えなかった。木村市政への不満はうっ積している。夢が持てないからだ。市の課題は何か、的確な分析と対応が忘れられている。職員のやりたいことと、市民が望むことに乖離(かいり)が激しい。
■井川前市長も万全ではなかった。しかし、批判を封じ込めるパワーを持っていた。保育園の民営化には、子どもの医療費無料化をからめた。区画整理では反対派の住民とひざをつき合わせて話し合い、道筋をつけた。職員も同化して動いた。そして下松市は子どもが増え、人口が増えた。
■我が社を設立した時、財政再建団体当時の下松市長だった山中健三さんが取締役として参加してくれた。苦労話を随分聞いたが、その後の下松市を今日まで発展させた井川さんの祝賀会に参加できたのも何かの縁だったろう。一つの時代が終わった。さあこれからだ。
(中島 進)