2026年06月21日(日)

コラム・エッセイ

№45 歴史考4・8月30日、東京港区の旧久原房之助邸に来られて久原翁や小平浪平を偲びませんか

独善・独言

 久原房之助を主人公にした大河ドラマを本気で熱望している。日立の小平浪平、日産の鮎川義介ほかも加えて、維新に遅れて現れて“坂の上の雲”をつかもうとした企業人のエネルギーを知ってほしいと思うから。

 久原翁と下松市との関りをA表に示す。この流れは当市の近代史そのもののようにみえる。翁にとっての下松は父親の生家藤田家があったいわば“父祖の地”である。下松に人口18万人の大工業都市の創設を計画し、それを断念した翁は2つの宝ものを遺した。一つは日立製作所、日本石油、東洋鋼鈑などの進出を可能にした工業用地…日石跡地はザ・モール周南や半導体の日立ハイテクと地域の基幹事業を招致する価値ある変遷をみる。

 もうひとつは県内初の工業学校である下松工高の設立を援助したこと。何年か前の日銀下関支店長は『県内コンビーナートの成功は地域の工業高校卒のエンジニアの存在抜きには考えられない』とまで評価している。周南地区の工場でどれだけの数のOBが貢献したのかとの思いを馳せる。以上、久原翁は地域の“大恩人”なのである。

 小平浪平は東大工科を卒業し、久原が所長を務める藤田組小坂鉱山に就職した技術者であった。その後、久原が新設した日立市の久原鉱業所に転出、電気機械事業を展開し独立、日立製作所を創設することになる。久原翁とは小坂でも日立でも下松でも強い連携関係にある。大戦後、自身の公職追放後は笠戸工場の倉田主悦氏が次の社長に就任するという話を最近知った。

 日産コンチェルの創始者鮎川義介は山口市生まれで井上馨の係累、久原翁の義兄弟にあたる。“日本の重工業王”と呼ばれるほど多くの企業の創業に関わった(後述)。

 周南地区との縁は久原が買収した工業用地を整理し事業化したことにある。さらにその土地の一部は山田石油の創始者山田孝太郎氏に引き継がれ「くだまつパブリックゴルフ場」となっているとこれも最近知った。鮎川と山田氏は山口高商の同窓であり山田氏は乞われて戸畑鋳物ほかの会社の会計担当として勤務したと聞く。なおその戸畑鋳物はダットサン車を開発し、今日のニッサンに発展する。

 3人が残した事業は拡販してその後の日立、日産ほか、JX、日本油脂、日本水産、SOMPOホールディングス、ニチレイ、日本ビクター、日東電工、東京電力等々日本の代表企業に進化する。

 ところがである…この3人のことが関係者以外にどれだけ認知されているのかということである。小平に関しては日立市には小平記念館があり、栃木市では生家が保存されてバスツアーのコースになっていると聞く。久原翁は秋田県小坂町の小坂鉱山事務所や日立市の日鉱記念館において紹介されているが、山口県内にはその類の場所はない。ましてや鮎川に至っては全国どこにも存在しない。

 そんなことでよいのか。彼らを顕彰しなくてもよいのか。こどもたちに“坂の上の雲”をつかもうと遮二無二に精進した先人たちを学ばせなくてよいのか。

 NPO法人「プロジェクトF」ほかは8月30日、東京港区のレストラン八芳園(久原翁の旧宅跡)で先の3人が関わる秋田県小坂町、日立市、栃木市、下松市の3市1町の市民が集まる会を予定している。3人の顕彰にあわせて将来4つの街の交流、友好、さらに大河ドラマをめざす夢を追いかけたい。下松市の協調も得ていきたい。

 8月30日、東京に出張する、親族に久方ぶり逢う…無理矢理でも機会を作って八芳園の会に参加されませんか。

…どうでしょうか。

講演請負業 阿武一治 kazuharu.anno@gmail.com

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