コラム・エッセイ
No.99 戦後80年考3の1・敗戦に至る検証ができていないのはなぜか 戦争責任者を極東裁判に委ねたままでよいのか
独善・独言この夏、戦後80年、そして昭和100年に関連して様々な報道や催し物に接した。取り上げられたテーマの論旨を私なりに無理矢理分類してみた。
㊀は失われた命への悼み、戦後の繁栄をもたらせた犠牲者への感謝
㊁は戦争体験者の発言を含めて、戦争の悲惨さ無念さ残虐さ理不尽さ
㊂は戦時下の異常な政治体制、国民生活の極限的な苦難
㊃は以上を踏まえ…二度と戦争を起こさせないという平和追求の決意
の4点に収れんされると思う。
しかし私は肝心なアプローチが足らない、否、まったくされていなと考える。
㊄それは…300万人の戦没者をだし、あげくに国家を破綻させる至った敗戦の要因分析、さらには戦争責任の追及である。
A表はこの夏私が観た、聞いた、参加した戦争関連の諸々であるが、このなかには反省や悔恨はあふれていても、㊄の戦争検証を直接のテーマにしたものはなかった。もちろん「二度と起こさない」という決意のベースには、反省の意識が含まれていることは間違いないが、たとえば戦争責任という視点なら東京裁判という史実を持ち出すのみで、明確に検証、分析に触れたものはなかったように受けとめた。
そのようななかで2点。
㋥の「昭和16年夏の敗戦」のドラマは「日米開戦すれば日本の圧倒的敗北」という「総力研究所」のシュミレーションを無視する形で“無謀な選択をしたナゼ”をアンダーで問いかけているのであろう。
また、明確にことばとして表現されていたのはNHKドキュメンタリー㋭の最後…天皇のポツダム宣言受諾の聖断」を導いた外務大臣東郷茂徳が残した『この戦争がなぜ起こったのか、なぜ終結したのかの検証を後世に委ねたい』という“書き置き”のような手紙を紹介した場面だけであったようにみた。
私は「敗戦の検証」にこだわってこう考える…
⑴ 日本人はあの戦争にどう向き合えばよいのか
⑵ それが始まったのはいつか
⑶ どこで間違えたのか
⑷ かかげた国家ビジョンはすべて誤りだったのか
さらに個別のナゼは…
⑸ 関東軍の暴走、226事件、統帥権干犯問題ほか陸軍に生まれたおごりの歴史的な経緯は
⑹ 特攻という兵士を虫けらとしかみなかった戦法はなぜ発想できたのか
⑺ 大多数の国民はどう踊ったのか、なぜ踊らされたのか
⑻ 戦争をあおる役目を果たした報道の立ち位置はなぜ生まれたのか
⑼ 陛下の聖断=天皇の意志はなぜ成立したのか。それまでなぜ成立しなかったのか
そして、戦後80年においては…
⑽ 以上のような検証や反省をしなければ戦後は終わらないのではないか
⑾ 戦争責任者を極東裁判に委ねたままで国家として独自に確定することは必要ないのか
⑿ 平和への誓いとか平和教育などの命題は、要因の検証がなくても真実に近づけるのか
この夏何度も耳にした『戦争の語りべがいなくなる』…批判を恐れずにいえば、もう“悲惨な体験談”は出つくしていないか、『若者に託す』とそれらしい訴えがあるが、若者に託すのは「戦争の悲惨さ」の語りべでなく“戦争を知らない人たち”主導での「戦争の総括」ではないのか。
次稿、次々稿でも
⒀ 戦争の検証ができなかった理由
⒁ 戦争責任者の追及
⒂ GHQ革命により獲得できた戦後民主主義のありがたさに触れていきたい。
