コラム・エッセイ
振り返れば50年
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子10年一昔のたとえで言えば五昔、50年、半世紀。一年一年を積み重ねている間は特に感慨もなく過ぎていたが、たどり着いた今振り返ってみると「遙(はる)けくも来つるものかな」の思いが溢れてくる。先月末の日曜日、昨年は2人そろって喜寿を祝った同じ場所で、つれ合いと2人、金婚の宴の席についた。
昨年と同じ部屋付きの仲居さんとあいさつを交わし、前日の強風で葉桜状態となった桜を惜しみ、新型コロナ禍の苦境を尋ね、花束や慶賀の絵で飾られた卓に頃合いよく運ばれてくる料理の姿と味を楽しんだ。
つれ合い殿と娘と、それぞれの記憶に残っている事柄を、時には記憶違いを正し合いながら語り合うなかで、今日のために様々に準備してくれた娘がサプライズのプレゼントを取り出した。立派な装丁の冊子を開くと、中には家族それぞれの誕生日それに結婚式の日の朝刊の1面記事のコピーが綴じられていて、それぞれの日のトップニュースが何だったかが分かるのだ。
私の誕生日のトップ記事の見出しには「政権獲得十周年記念宣言。対ソ戦死活の分岐。万難排して完勝へ。ヒ総統 全国民を激励」とある。第二次大戦真っ只中、日本の敗色濃い中でドイツのヒトラー総統の記事の方がトップ扱いというのも、当時の国情が推測できるようだ。
我がつれ合いの方はどうかというと「ガダルカナル夜爆同乗記。照射弾幕を潜って、敵の頭上へ巨弾。胸躍る爆管の破裂音」とある。今では嘘だらけと分かる記事が、旧漢字で、横書きは右から左で読みにくく組まれている、そんな時代に生を得て、縁あって結ばれて50年。歩んできた跡をたどると、個人としての感慨よりも、今生きている同世代人は、日本の歴史の中でも特殊な体験を持っているという思いの方が強い。
おぼろげながら空襲を知り、廃墟となった町で誰もが貧しく育ち、戦後復興の高度経済成長の中で、各家庭に電話が、洗濯機が、テレビが座り、ワープロが、PCが出現し、インターネット、PHS、携帯電話、スーパー、コンビニ、バブル崩壊、スマホ、ネット通販。
今では当たり前になっている様々のことが初めて日本に出現したすべての時に立ち会っている。こんな体験を持っているのは明治維新の頃に誕生して、第二次大戦敗戦を迎えた世代くらいだろう。
そんな時代に偶然生を得て、幸いに命長らえ今日までのすべてを自分の目で確かめてきた。この先何が起こるか知る由もないが、一つ一つをこの目で確かめてゆきたい。宴を終え、お土産に頂いた見事な鯛の塩焼きとデコレーションケーキを抱え、玄関先で見送る仲居さんに手を振りながら、この先の傘寿、米寿、卒寿も2人で共に迎えたいものだと願った。
(カナダ友好協会代表)
