コラム・エッセイ
男の料理
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子11月中旬。秋たけなわ、というよりももう年越し準備を考える頃となったが、朝晩は少しひんやりと、昼間は暖かいこの頃が1年で一番好きな季節だ。秋といえば、読書の秋、スポーツの秋、行楽の秋、色々あるが、私にとっては味覚の秋、食欲の秋。様々な食材に調理の工夫を凝らし、爽やかな空気の中で頂く料理は、胃袋ばかりでなく心も満たしてくれる。
そして、その料理は、好きな食材を見つけて自分で調理したものでももちろんいいのだが、少し名の通ったお店を気持ちを高めながら訪れ、順に運ばれてくる季節感溢れる料理を、お品書きをたどりながら、目で楽しみ、舌で味わい、時に評価の言葉を交えながら頂く方が身も心もより満足させてくれる。
こうしたお店での料理(外食)の調理人は男性が多いようだ。高い技量を身につけるまでに長い修業を重ねなければならないからだろう。一方、家庭の食事(内食)では料理の中心はお母さん。子どもたちを育てるお袋の味なのだ。大きく分ければ外食は男性が、内食は女性が担い手となっていると言えそうだ。
そして、ここで登場するのが「男の料理」。これには2つの意味合いがあって、男性の感性を活かした料理という、敬意と憧憬を伴って用いられる場合と、内食の分野に割り込んでかき乱す迷惑行為を差す場合があって、表題に掲げたのは後者の場合。文字通り男が作る料理なのだが、これが現実問題になってくるのは定年退職後のこと。
我がつれ合いによれば定年後の男性の3大関心事は、健康のこと、親の介護のこと、そして趣味探しだという。そして多くの男性が趣味探しで行き着くのが料理だという。必要な道具はほとんど揃っている。目的も明快そして楽しい。自分で作った料理は、どんなものでも美味しいから。「男子厨房に入るを許さず」などという言葉は死語となって久しいから、厨房に入ることに抵抗感は薄れ、かくて内食での男の料理がはびこることになる。
でもこの男の料理、奥様方にとって必ずしも歓迎ではないらしい。なぜ?作るものすべて善の自己満足の味のせいばかりではないようだ。
我が家の料理男を自認するつれ合い殿の言うことには「それは世の『男の料理人』達が、料理することを調理することと思っているからだ」「ん?」「料理するとは、調理することだけではない。食材を用意し、調理し、後片付けして、調理場を元の状態に戻すこと、これを全部やって料理の完了だ」「多くの男の料理人達は、調理はしても後片付けの手を抜くから、奥さんにとって迷惑行為になってしまう」確かにその通り。我が家では後片付けつきで、料理になっていて味もまあまあ。助かっている。
(カナダ友好協会代表)
