コラム・エッセイ
言論の自由?
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子現職の国会議員が「北方領土の回復は戦争で!」という主旨の発言を、ビザなし交流の一員として訪れていた国後島で執拗に繰り返し、同行の旧島民代表に同意を迫った「事件」。かなりの酩酊状態でのことというこの発言、当人は酩酊状態であったことは反省しているというものの、発言自体は「言論の自由」とうそぶき、大問題とする周囲からの批判にも、自由な発言を封じ込めるのは民主主義の自殺行為だと聞く耳を持たず、議員辞職を求める声にも応じる意志は全くないらしい。
確かに、少なくとも日本国民には、言論の自由がある。いくら過激な、あるいは軽率な内容の発言をしても、それを罰する法律がなければ、それだけで罰せられることにはならない。「あんな奴、この世からいなくなればいい」と大声で叫んでも、周囲のひんしゅくを買うことはあっても、逮捕され処罰されることはない。自由な発言が許されることで生じる問題と、許されないことで起こる不条理とどちらが重大かは、やんちゃな独裁者が支配する北の隣国と比べてみればすぐ分ることだ。自分の思うことを主張し発言するのは基本的には自由であり、個人の権利でもある。
しかし言う人の立場によってはその自由には制約が生じる。言いたいことでも、立場によっては言うことは出来ないのだ。大きな権力を与えられ、その言動で国政に影響を及ぼすことの出来る国会議員はそのことを常に認識していなければならない。
彼が常々「失った領土は戦争で取り戻す」と主張し、それを公約として選出されたのなら、同意は出来なくても、今回の発言は「言論の自由」の範囲だろう。だが彼は政党に属して、政党の主張・公約を果たすための一員として選出されたのだから、所属政党の主張と反する主張をすることは許されないことで、それを敢えてしたいのであれば、議員であることを辞め、改めて自分の主張を掲げて立候補し選出されてからにするのが筋というものだ。自分の言いたいことを言う前に自分が言ってはならないこと,言わなければならないことをわきまえていることが、権力者の最低限の要件だろう。
最高学府の頂点を出発点としてエリートの道を歩み、若くして権力の座を与えられたこの国会議員が、実は、していいことといけないことの区別もつかない幼稚なわがまま人間だったことを天下に知らしめたこの事件だが、これも政治への無関心が引き起こしたことを思うにつけ、全ての有権者が、自分の一票の重みを自覚しながら投票場へ向かわなければならないのだと思う。
(カナダ友好協会代表)
