コラム・エッセイ
凶弾に墜つ
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子生まれてこの方、公的選挙に一度も棄権したことがないのが自慢の我が連れ合い。脳梗塞発症後は地元を離れての療養生活中に迎えた参議院議員選挙。投票のために帰宅することは許されず、これで輝かしいゼロ棄権の勲章も返上かと思ったが、不在投票という道があることがわかり、ネット情報を頼りに手続きをとった。
周南市の選挙管理委員会委員長宛に投票用紙の請求書を出し、数日後送られてきた透明の封筒に入った投票用紙を携えて、私と娘も付き添って近くの投票所で期日前投票を済ませた。初めての経験だったが、意外にスムーズに短時間で手続きできたのには驚いた。
このことは、それから1週間後に起こったとんでもない出来事と共に、私たちの記憶に長く残ると思う。
元首相の暗殺というとんでもない出来事。凶弾を浴び倒れ伏した姿の映像を見ても、まさかそのまま還らぬ人となるとは思わなかった。
突然の発症で緊急手術を受けた我が連れ合いも、最悪の事態も想像しながらも後遺症も残らず無事な毎日を送っている。元首相も「医療団の懸命の処置の功あり、一命をとりとめました」というテロップが流れるのだろうと思っていたのだが、あまりにも早い逝去だった。
今はただ、ご冥福をお祈りするのみ。人の命を故意に奪うことは絶対に許されない。幸せとは生きていること。命より大切なものはない。失われた命はもう還ってこない。取り返しはつかないのだ。
この事件には政治的背景は見えず、犯人の個人的怨恨が原因と報じられているのは奇異なことで、政治活動では他の誰よりも大きな影響を及ぼしてきた故人に、政治的立場からの反感・利害が動機となって愚行に及ぶことは可能性が皆無ではないが、個人的怨恨が理由というのは想像もできなかった。
もう40年近く前のことだが、カナダの日系一世に慰問品を贈る活動が高額な空輸料で行き詰まり、当時在職中の安倍晋太郎外務大臣に、まだ幼かった子ども達を連れて上京し陳情に訪れたとき、恐らくまだ20代だった外相秘書官の安倍晋三氏が出迎えてくれ、せっかく来たのだからと賓客応接室に通され、話を聞くとすぐにその場から航空会社に電話し、無償空輸を決めてくれた。
そのにこやかでテキパキとした振る舞いは今も印象に残っている。このことに限らず、恐らく故人は自分の周囲の人に自分が出来ることをしてあげることに喜びを感じ、政治的地位が高まるにつれ、してあげられる範囲と内容が大きくなることに一層大きな喜びと満足を感じておられたのだろうと思う。
政治活動への評価は別にして、故人は怨恨の対象になるような人とは思えない。この犯人が故人と知り合う機会があったなら、このようなことには決してならなかったと思う。
ただただ、合掌してご冥福をお祈りする。
(カナダ友好協会代表)
