コラム・エッセイ
百年人生
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子明智光秀軍に包囲され「人間五十年下天のうちを比ぶれば…」と能楽の一節を詠いながら非業の死を遂げたと伝えられるのが信長49歳のとき。だがこれは自然死ではないから、その頃の日本人の平均余命が50歳だったということではないのだろう。
自分の生きた時代を振り返ってみると、戦後の復興期から高度成長期を通じて生活水準の向上、消費生活の拡大の実感と共に目の当たりにしてきたのが平均余命の著しい伸び。戦後間もなく、生活環境も良くなかった1947年の平均余命は男性50年女性54年で、正に人生50年が現実だった。
まだ小中学生だった頃、世界の長寿国と言えばスイスで、当時の生活水準の違いを示すような歴然とした差が段々と縮まってゆく様子を世界経済の中での日本の地位向上に合わせて誇らしくも感じていたものだった。今ではスイスも抜き去って日本は世界の最長寿国。しかし素直に喜べない気持ちは多くの人に共有されている。
平均余命の伸びが国力の伸びを実感させた時代はとっくに過ぎ去り、長生きすることがいいことか、若い世代に負担を掛けるだけのお荷物になるのではないかと公然と問われるようにさえなった。大事なのは平均余命ではなく、健康寿命の長さだというのが大方の世論のようだ。
そんな世論の風向きに応えるように、100年人生をスローガンにした政策が華々しくではないが掲げられ徐々に実施されているのは、不手際ばかりが目立つ政治の動きの中では多少とも心強いことだ。
後期高齢の階段を駆け上り、気がつけば最上段まで幾ばくもない所にいて、残りの数段が愛おしい思いを我が連れ合いとも共有しているが、先頃大病を患い、その思いが一層強いらしい連れ合い殿、ある日「今日は素晴らしい人に会った」と声弾ませての報告。
娘が選んでくれた、開けば椅子になる杖に身を委ね、少し先のスーパーへ行こうとバスを待っていた時、同じバス待ちの老人に声を掛けられたそうだ。
珍しい造りの杖から話が始まりやがて「お幾つですか?」と問われ「79になりました。」と、相手も同じくらいかと思いながら答えたのに「お若い」と思いがけない言葉が返され、「で、お幾つですか」と問うと「96歳。これまで医者のお世話になったことはなく、何でも食べます」背筋もピンと、言語明瞭。
予科練出身の特攻隊生き残りというその人と、戦後の苦難な生活の思い出、反戦の思いを、大病後のあちこちの不具合に苦しんでいることをしばし忘れて、なかなか到着しないバス待ちの時間を語り合ったそうだ。
到着したバスに軽やかな足運びで乗り込み去ったその人をうらやましさと敬意を感じながら見送り、これは神様が百年人生の理想の姿を見せるために遣わしたのだ思ったと語る。どこの誰とも分からず、再び会えることもないだろうが、この人にとっては恐らく現実の百年人生を、心ゆくまで楽しんでいただきたい、私たちもそうありたいと願っている。
(カナダ友好協会代表)
