コラム・エッセイ
役目と務め
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子わずか1カ月の間に3人の大臣が更迭・辞任。それに止まらず次はこの人かと取り沙汰される状況が続き、せっかく開かれている国会の審議そっちのけで攻防が繰り広げられている。こんなこと異常事態なのが当然だが、誰もそうは思わないだろう。
15年前には新内閣発足後10カ月で5人の大臣が次々と辞任、次の内閣でも9カ月で3人が辞任した。こんな前例を見せられると、新内閣では大臣辞任が起こるのは当たり前なのかと思えてしまう。
このところの辞任劇、それぞれの辞任の理由を聞くと、どんな政権の誰がなっても辞任要求の攻撃材料はいくらでもあって、いわゆる辞任ドミノは終わることがないと思える。例え攻守立場が変わっても、同じ理由で辞任要求・辞任ドミノが繰り返されても不思議ではないと思ってしまう。
行政の実行責任者である大臣が適格者であるかどうかは大事なことだ。適格要因を追求し、辞任を迫るのを無意味なことだとは言わないが、同時に、今はそれに全力を挙げるときなのだろうかと、大いに疑問が湧いてくる。
だいたい、なぜこんな状態になるのか。資質のない不適格者が大臣になっているから、資質のない不適格者を大臣に任命したからということばかりではない。
その大臣になる、その大臣を選ぶ立場にある国会議員に、資質のない不適格者が多いからである。政治とは国民の安全と安心を保証する社会の仕組みを整え維持することだ。
国会議員に代表される政治家の役目は、安全・安心な社会の仕組みを考え、その仕組みを実現し、あるいは仕組みを変えることで、そのために全力を尽くすことがその務めなのだ。そのために過分な待遇が用意され、権限が与えられている。役目や務めは何によって果たされるのか。
それは立法、法律を作ること。社会の仕組みは法律によって作られる。目指す仕組みを作るためにどのような法律が必要か、その法律はこの内容でよいか。1秒も無駄にせずそれを考え実現に努めるのが国会議員の役目と務めで、そのための待遇と権限なのだ。
だが、役目と務めの自覚がなく待遇と権限を手にするとどうなるか。自分のしたいことをするために使いたくなる。自分のしたいことは、つまるところ社会に君臨し、社会を支配することで、待遇と権限はそのためにあると錯覚する。
かくて、役目を自覚し務めを果たす意識はかけらもなく、手落ちを責め、全能力を言い繕いに傾ける攻防で貴重な審議時間を浪費する図が繰り返される。
100年人生の実現を掲げ、日常を囲む多くの課題を越えてゆかねばならない日本の今日と将来を、この人達に委ねていていいのだろうか。
いつの間にか、今年ももう師走。
(カナダ友好協会代表)
