コラム・エッセイ
仰げば尊し
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子3月は卒業の季節。幼稚園から小中高校、大学、そのほか様々な修学の場で卒業式が行われる。
通い続けた学舎に、薫陶を受けた恩師に、出会い友情を交わした学友に、今日は別れを告げ、それぞれが新たな出発への歩みを踏み出すその日を象徴するように歌われたのが、「仰げば尊し」と「蛍の光」だった。私たちの年代では卒業式といえばこの二つに決まっていて、その他の歌の出番はなかった。
それがいつの頃からか様々な歌がこの二つの定番曲に代って歌われはじめ、音楽の教科書からも姿を消したかつての定番曲がすっかり忘れ去られるような状態も起こっていたらしい。新しく取り上げられた卒業式の歌は、別れや友情、思い出を懐かしむ気持ちに通ずる既存の歌や、新たに卒業への思いを込めて作られたものなど、幅広くそれぞれの学校で選ばれていたようだ。みなそれぞれにいい歌で、中には詞もメロディーもその歌の出来た背景も感動的なものもある。
卒業式で「蛍の光」や「仰げば尊し」が次第に唄われなくなった背景として、一つには文部省唱歌という響きがいかにもお上の押しつけと思えることへの反発や、使われている言葉が分りにくい、「身を立て名を上げ、やよ励めよ」という歌詞が立身出世主義の奨励だと嫌われたことが、個人の自由な行動を尊重する社会の流れと合致した結果と考えられるのだが、それは理解するとしても,私には卒業式の歌といえばやはり「仰げば尊し」しかない。
長年唄ってきたからとか、新しい歌は知らないからということではなく、歌詞もメロディーも卒業に臨む気持ちにピタリとはまっている。最近卒業式の新しい定番曲となっている歌も確かに素晴らしい。かなり長い歌詞だが、友情の素晴らしさを細やかに綴り、別れに臨む力強さを美しいメロディーで包んでいる。
一方「仰げば尊し」はその思いを「思えばいと疾し この年月 今こそ別れめ いざさらば」に凝縮している。人の交わりの機微、友情の美しさはいくら言葉を重ねても語り尽くすことは出来ないが、逆に言葉少なく語ることによって万感の思いをその中に包み込むことが出来る。そんな力がこの歌にはあるように感じる。
最近「仰げば尊し」や「蛍の光」の再復活の兆しがあると聞いている。それは懐古主義の高まりということではなく、卒業の心情を表すにふさわしい言葉の力を多くの人が改めて感じたからではないだろうか。
(カナダ友好協会代表)
