コラム・エッセイ
オータニサン
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子年を重ねると時の流れは緩やかになるのだろうと想像していた。周囲に合わせて自分も動く若い頃なら時間の感覚は現実の時の流れに同調するが、日々の決まった務めから解放され、社会との関わりも次第に緩やかになる高齢期には、周囲の時の流れと自分の時の流れは別のものになって、大抵は自分の方が置いてきぼりにされ、言葉を飾れば悠々自適となるのだろうと想像していた。
ところが現実には、関わってきた事業は終わりがなく、齢を重ねても、はい御苦労様、おつかれさま、後はよろしくとお別れするわけにはいかない。
毎年の年度末の決算やまとめの作業に忙殺されるのが3月の恒例で、今年はいくつかの事業の契約更改が重なっていて、その準備に突貫工事状態だったから「何の因果で」と、キーボードに置いた指を休め、ため息をつくこともしばしばだった。
年ごとに体力の衰えを感じる中で、こんな日々の連続によく耐えていられるなと、我ながら天晴れの思いもするが、今年はちょっと違った。救いの主が現れたのだ。
それは「オータニサン」。3月の多忙地獄に時を合わせて始まったWBC。スポーツとは縁遠く、野球にも興味はなく過ごしてきたが、さすがに「オータニサン」の名とその活躍は知っていた。野球のルールも知らないし、他にどんな選手がいて、WBCがどのように戦われるのか、ただただ「オータニサン」の名前だけでチャンネルを合せたのだが、これが大当たり。とにかくかっこいい。一挙手一投足がその顔と併せて清々しく華がある。見ているだけで疲れが取れるのだ。
「オータニサン」だけでなく、同じチームの選手の動きも顔つきもキビキビして明るく、投げる、打つ、走る、捕る動きも、その意味は理解出来ていないが、見ていて気持ちがよどまない。本当に「スカッとする」のだ。
「オータニサン」の名前に惹かれて合わせたチャンネルだったが、ヌートバー選手、近藤選手、ダルビッシュ投手の名は自然に覚えてしまった。
ゲームの面白さは一緒に見ていたわが連れ合いほどには味わえていないだろうが、とにかく疲れが取れた。見終えるともう寝る時刻なのだが、この日ばかりはすっかり疲れが癒え、英気が養われている。
自分の見た全ての試合に勝利したこともその理由だろうが、とにかく自分にチャンネルを合わせさせ癒やしと英気を与えてくれた「オータニサン」に感謝し、ますますの活躍を期待したい。
同じ思いのにわかファンは世界に何百万人、いや何億人もいるのだろう。たった一人の活躍が、こんなに多くの人の心を掴み、そしてその期待に応え続けていられるのは、なんと素晴らしいことだろう。
(カナダ友好協会代表)
