コラム・エッセイ
主語の問題
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子「ウクライナで戦争が起こった。」─この文章は正しいかと聞かれたらどう答えるか。主語は「戦争」で、述語は「起こった」で動詞。文法的にはおかしいところはないから、正しい文章だと答えることは出来るだろう。
しかしおかしいところはある。まず、「戦争」は生き物ではないから自ら動くことは出来ない。戦争が勝手に起こったりはしない。戦争は「起こった」のではなく「起こされた」、何かが戦争を「起こした」のだ。
だからこの文章は戦争が主語なら「ウクライナで戦争が起こされた」と受け身形でなければおかしいし、受け身形でなければ「ウクライナで〜が戦争を起こした」で、主語は「戦争」でなく「〜」となる。では「〜」とは何かというと、考えるまでもなく、戦争を起こすのは人だから、ここにその人の名を書き込んで正しい文章が完成する。
人はなぜ戦争を起こすのか。誰もが戦争を起こしたいのではない。戦争を起こしたい人がいるからだ。戦争は人間の最も悪い行為である殺人を許してでも相手を屈服させようとするもので、そこに加われば自分の命も奪われるかもしれないから、戦争を望む者はいないと思えるのに歴史上絶えることなく戦争が続けられているのは、自分の安全を確保した上で戦争で利益を上げられる人がいるからで、戦争が起こされる陰には必ずそうした一団がいる。
「〜が戦争を起こした」の〜には一人の名を書き入れることが出来るかもしれないが、戦争は一人では出来ないから、他の人、戦争でリスクを負う人を戦争に向かわせるためにはそれらの人たちを戦争に向かわせる気にさせる事が必要で、自分(達)の起こしたこの戦争では正義は当方にあり、勝てるものだと訴え続けることになる。
ナチズムに染まった敵を倒すための戦争で、過去の大戦にも勝利した我が国は強いからこの戦争にも勝つと語りかける。しかし、この戦争の相手がナチストだということに同意している国があるのかどうかわからないし、記憶に残る戦争で言えることは強い側が勝ったのではなく、侵略した側が結局敗退しているということ。
第1次、第2次の世界大戦もベトナム戦争もアフガニスタンもイラクも侵略した側は勝てていないのだ。いくら我が国が強くても、侵略戦争では勝てないことは歴史的に証明済みだから、「我が国は強いから勝つ」というのも修正が必要で、「我が国は、侵略を受けた側に立った戦争には勝つ」と言えば正しい内容と受入れられるだろうが、「でも、今やっている戦争は違うよね。
突然攻め込んで相手の領土の中で殺し破壊するのは何というのだったかな。侵略ではなかったのかな。」と問われて正義は吾にあり、我が国は必ず勝つと、いつまで言っていられるのだろう。
自分の思いを言葉で伝えようとする時には、修正の必要がない正しい内容、正しい表現になるよう、よくよく注意して発しなければと、他山の石を手にする思いで伝え聞いた、あの人の演説。
(カナダ友好協会代表)
