コラム・エッセイ
失意泰然
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子得意澹然
失意泰然
誰の言葉か知らなかったが、いい言葉で、気に入っている。
改めて調べてみると、中国明代の「六然訓」という処世訓の一部で、ものごとが自分の思い通りに進んで、どんなもんだいと得意絶頂の気分の時も、それを周囲に見せつけるようなことをせず、喜びはぐっと内にしまって表情や態度は淡々としておこう。
逆に物事が思い通りに進まず、願いが叶わず落ち込む思いになる時も、悲しさや悔しさは表に出さず何事もなかったかのように穏やかな表情でいようということだろう。
修養の乏しい我が身では、得意なときには喜びは爆発させ「見て、見て!聞いて、聞いて!」と周囲に振りまき、失意の悲しみは一緒に分け合って欲しい。得意傲然 失意呆然の方が似合いなのだが、一人では生きられない人生、周囲とのいい人間関係を保ってゆくためには、お互いが気遣い合って穏やかに暮らせる心遣いをすることが求められる。
この言葉、得意の喜び、失意の悲しみをストレートに表現して周囲の心を乱すのではなく、1クッションも2クッションも置いて衝撃を弱めて伝えようということで、人間の感情を持つことを否定しているのではないが、自分のものとすることは正直これからも難しいだろう。
でも、そうありたいと憧れるいい言葉、好きな言葉になっている。
今月15日、雨の中で開かれたマラソンのMGCレース女子の部は、鈴木優花選手と一山麻緒選手がパリオリンピック代表の座を勝ち取った。このレースで有力な優勝候補として注目されていた鈴木亜由子選手は膝を痛めたのか、体が冷えてか、思わしい走りが出来ず勝ち残れなかった。
レースの後一人離れて立ち、悔し涙を溜めた目でじっとゴールの辺りを見つめ続ける姿が印象的だった。膝のあたりを掌で押さえ「この膝さえ傷めなければ、栄冠は私に輝いたかもしれないのに」という思いを全身で表しているようだった。
何年か前、レース中の選手紹介で鈴木選手の座右の銘が「得意澹然 失意泰然」だと披露されていた。そのことを思い出し、ああ、まさに今この失意の時に座右の銘の通りに泰然となんかしていられないよね。人間ならそうだよね。自分が思いのたけを注いでやった結果であるほど、そうだよね。こんな時に「失意泰然」なんて垂れ幕が心を覆ったりしないよねと、何かほっとする親しみを感じた。
青春の思いと体を賭けた競技の世界では得意の時はもう来ないかもしれないが、彼女にもまだまだ長い人生行路の様々な得意と失意との遭遇に、時に座右の銘を具現してゆかれるようにと望んでいる。
(カナダ友好協会代表)
