コラム・エッセイ
知るは喜び
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子知らなかったのだ。今の今まで。田の草取り機、あんなことして何で草が取れるのか。長い間疑問だった。周りには一面に稲があるのに、何故草だけ取れるのだろう。人が田に入って一本一本抜き取っていくなんてとても出来ないと思うのに、何で草取り機には出来るのだろうと。
毎朝見ているTV番組の後のコマーシャルを見て教えられた。稲の生育を邪魔する雑草は稲と同じ土に生えるのだが、同じ植物だから育つには水と空気(二酸化炭素)と日光が要る。どれが欠けても生長できない。だから、田に水が張られているうちに田の土をかき乱して濁らせれば日光が水中に届きにくくなるから、水上に葉がある稲には影響なく、水中で育とうとする雑草は生長できない。
だから除草になるという理屈なのだ。知っている人には、そんなこと当たり前でしょう、知らなかったの?と笑われるだろうし、調べれば、聞けば、すぐ分かったことなのだろうが、とうとう今まで知らずに生きてきて、やっと、番組終わりのコマーシャルで教えてもらった。
でも、何か無性にうれしかった。長年の疑問で、生死に関わる重大事ではないがずっとどこかにひっかかっていたとげがすっと外れたような爽快な気分になって、うれしさがこみあげて来た。そのときふと思い出したのが「知るは喜びなり」という言葉。
ずいぶん昔、NHKの人気番組で司会の鈴木健二アナウンサーが冒頭いつも言っていた決まり文句。知らなかったことを知るということは、それが役に立つかどうかだけでなく、知ることそのことがうれしいということで、地上の万物で一番硬いダイヤモンドも実はあやういということを金づちで惜しげもなく砕いて示してくれたりして、色々なことを「知った」。
他の人には常識で知っていて当たり前のことでも自分は知らなかったことを初めて知ると嬉しい気持ちは何度も味わってきた。知識とお金は似ていると思う。お金も知識も自分のために有効に使ってこそ価値があるのだろうが、今使わなくても財布の中に口座にお金があることは。それだけで何か嬉しくなる。
自分の脳内の知識の引き出しに今までなかった、知らなかったことが、何かの時には引き出せるように蓄えられることは、それだけでうれしい。ましてや、分かっていないことを明らかにしようと、まだないものを作ろうと日毎夜ごといそしんでいる研究者や開発者が、求めるものを発見したときには、他人には想像出来ない喜びと満足があるのだろう。
そこで、まだ幼い生徒達にも一言告げる「学校の授業はあなたが分からない、知らなかったことを教えてくれるのよ。全部分かっていてつまらなかったら、知らないことを質問すればいいの。テストはね、あなたは知っていましたか、分かっていますかとわざわざ聞いて確かめてくれるのだから、喜んで受けなさい。」と言っても余り通じないのは、知ってうれしいことが他に沢山あるからなのだろう。
(カナダ友好協会代表)
