コラム・エッセイ
大勢(たいせい)
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子大勢。「おおぜい」と読めば多数の人という意味、「たいせい」と読めば全体の方向を示す流れという意味になる。ここでは後の方の意味。
パーティ券売り上げ金キックバック問題で揺れる政権党。告発者の意図通りなのかはともかく、世論(庶民の疑念と不信)の圧力に抗しかねて、政権党の力の源泉と思っていた組織(派閥)が、あっという間に崩壊の様相を呈している。
戦後のほとんどの期間国政を担ってきた政権党の中でそこここに群れ寄っておらが村(派閥)を旗揚げし、互いに旅人を呼び込み定住させ、数は力を共通の信条に数を競い覇を競う構造は、時代に寄らず政権党名に寄らず、変わることなく続いていた。派閥があることへの組織内外の抵抗は少なく、時に起こった派閥不要論も乗り越えて健在だった。それが一瞬にして崩壊の流れが出来てしまった。
100人を集めた最大派閥も、その他の派閥も衆論一致で解散となるようだ。崇高な政治理念と政治信条を共有し固く結ばれた村人の集まりだから、村がなくなり心細い一人旅になるかもしれない状態を、そう簡単に受入れられるとは思えない。
おらが村のこの旗は何のために揚げたのか、ここを拠点に何をしようとしていたのか、派閥とは何なのか、必要なのかなくてもいいのか、もしかしたら各派閥で夜も寝ないで集中討議の末一斉に同じ結論が出たのかもしれないが、そうとは思えない。
もともと我が身への利以外の派閥の要否、その是否への考えを明確にして加入したとは思えず、所属することの利を知り、いいか悪いか意義が何かを問うよりも、多くがそうしているから、言わば大勢に従った結果のように思える。
派閥解消決定の続発も、熟慮議論の末というより、それが流れ、大勢だと感じられたからと言う方が分かりやすい。
大勢に従うのは庶民の行動原理。全体が一つの方向に行く気配を感じた時、我が身の安全のためには「なぜ、どこへ、どうして」を考えることなく大勢に従うのは、蟻やネズミ、野生動物の大移動で、一匹一匹が自分の判断ではなく群れ全体の流れに乗って動くのと同じだ。
これは群れの多数が生き延びるための習性で、庶民の知恵。その先に何があるのか熟慮判断するよりも先ずは流れに身を委ねるのが自然の姿だ。非難も蔑視も出来ない。
しかし、選良を自認し、権限を奮うリーダーである議員達はそれでは許されない。庶民の感じる大勢をどこに持って行くのかを考え結論を導き、自らの有する権限によって結果を出す責任がある。
その自覚と覚悟を持って難局に当たり、真の問題解決への道を拓くことを、派閥解消の大勢に乗って動く議員諸氏に求めたいが、誰が応じてくれるのだろう。
(カナダ友好協会代表)
