コラム・エッセイ
リスキリング
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子春三月。さくらの季節は卒業の季節。学びの時を終えた若者達が、身につけた技能(スキル)をもとにフレッシュマンとして社会活動の第一歩を踏み出す時。
そこで出会い携わった仕事を通じてスキルを深め、社会への貢献の満足と糧を得て自立した幸せな社会生活を送るという思いで日々を送ってゆくのだが、様々な経験を積む中で、意欲的にあるいは心ならずも、今進んでいる道を方向転換することもある。
その方向転換が自分の身につけた技量で十分に果たせるものなら決断と実行あるのみなのだが、新たな道を歩むに新たなスキルを求められる場合には、そのスキルを予め身につけておく、あるいは新たな道を歩みながら身につけてゆく必要がある。
今の道を歩みながら、これまでに身につけてきたものとは別のスキルを新たに用意すること(リスキリング)には時間と努力が必要で簡単なことではなく、方向転換した後で必要なスキルを身につけるのを待ってくれるほど寛大な受入れ先はほぼないから、普段の歩みの中でのリスキリングは、思えど実行は難しい。
雇用条件への不満、職場の人間関係の問題から方向転換を考える場面が増えているように見える昨今、リスキリングが大きな社会テーマになっている。そんな中、マスコミ紙上で、ある企業が新入社員に事業に必要なスキルを懇切に指導することに取り組んでいることがリスキリングの好例と、大きく紹介されていた。
折角入社した大企業を数カ月で退社したという若者の話が珍しくなく、一方では右も左も分からず、仕事の要領も分からないのに結果を要求され、職場の中に自分の居場所のない思いをする新入社員の悲劇も聞く。こんな状態と比べれば紹介された職場はリスキリングのいい例とも思えるが、この話、多くの高齢者には違和感を感じるものではなかろうか。
新たに職場に迎えた社員を一定期間即戦力と見なさず、事業のために必要なスキルを丁寧に教育訓練する、先輩社員が自分の持つスキルを後輩に伝授する。ほとんどの企業で職場で、昔は当たり前の姿だった。
確かにリスキリングなのだが、ことさら特別なものとはみなされてはいなかった。ではなぜ今は違うのか。それは職場の人間関係の変化だと思う。個人的な好き嫌いの関係ではない。自分が苦労して身につけたスキルを懇切丁寧に伝授するのは、相手が自分達の仲間で、早く一人前になって、共に励んでいい結果を作りたいと思うからだ。
派遣労働が拡大され、非正規雇用が全雇用の1/3以上を占めるようになり、赤字になると真っ先に首切りが行われる雇用の下では、自分がスキルを伝授したために自分の身が危うくなるかもしれない。この相手は自分の仲間ではなく敵なのだ。敵のために自分の大切なものを伝授する気にはならないだろう。
職場でのリスキリングを可能にする人間関係を取り戻すためには、誰もが互いを仲間と思えるような雇用環境を回復することが先ず何よりも必要ではなかろうか。
(カナダ友好協会代表)
