コラム・エッセイ
楽しい日本
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子2025年新春。日本国首相が目指すのは「楽しい日本」だ。
打ちのめされた、戦後代々の政権は豊かな日本の実現を目指し、国民一人一人もその実現に心を一つに出来ていた。その後「美しい日本」というあまり真意の伝わらない言葉が掲げられ、いつしか消え去ってしまったが、今度は楽しい日本だそうだ。
言葉、とりわけキーワードは大切で、高く掲げて多数を率いるのに、リーダーにとっては便利で、百度の演説よりも効果があり、強力な緊縛ベルトのように一言で全国民を束ねることが出来る。
そのためには聞く者に分かりやすく、その言葉で浮かぶイメージが誰にも同じであることが重要で、その言葉が政権のスローガンとなるための決め手となる。「美しい国日本」が受けなかったのは、美しいという言葉が作るイメージが前後左右に広すぎて、誰もが同じイメージを持てなかったためだ。
で、楽しい日本。問題は「楽しいって、何?」ということだ。楽しいとは何か?AI相談に聞くと「精神的身体的に満ち足りて快い様子、または物質的に満たされて豊かな様子」だそうだ。
それは誰が?社会は利害の対立した人間関係で成り立っているのだから、全国民が満ち足りることなどあり得ない。
AI対抗して自分でも定義してみると「楽しいとは、自分の行動の結果と自分の周囲状況が自分にとって心地よいこと」。結局は同じ内容だが、結果が失敗で満足できなくても、捲土重来を期して再挑戦を決意して行動することは心地よくも感じるから、精神的にも物質的にも満足できていなくても楽しいことはあるだろう。
では、楽しい日本、誰が楽しいのか?国民全体を指すのなら、それは無理と感じるし、私さえ楽しければいいでは都合が悪い。国家としての日本なら、日本国の行動が全て受入れられ、日本国の行為と力が賞賛される状態が達成されれば満足で、日本は楽しいが、それは外交の勝利ということ。
それなら優れた外交力を養うことが楽しい日本実現の条件となるが、かなり難しい条件で、米国大統領とその支持者の方が先に楽しくなりそうだし、日本国民全体がそれを楽しむかどうかは分からない。
「日本」を「政権担当者」とすればそのトップと支持者には目標となるかもしれないが、少数与党では一番困難で、楽しむより先に支持率向上をスローガンにした方がよさそうだ。それでも、せいぜい30%程度の人が楽しさを味わい、それ以外はどうでもいいのでは全国民の目指すゴールとはならないだろう。
どうも話が支離滅裂になってしまったので、これでお仕舞いにするが、目指すスローガンは「長生きしたい日本」ではどうだろう。今は不満一杯でも、長生きしていれば、いい明日があるかもしれないし、不満を満足に変えるやり直しも出来るから、長生きしていたいと誰もが思える日本になって欲しいといつも変わらず思っている。
(カナダ友好協会代表)
