コラム・エッセイ
巣立ち、巣作り
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子3月と言えば日本では3.11がまず浮かぶキーワード。地震・津波・放射能と三重の被害を受けた方々ばかりでなく、誰もが15年経た今も鮮明な記憶をたどり、あの時を語る。15年経っても、ではない。30年経っても地下鉄サリン事件は、80年経っても東京空襲は被害を受けた方々ばかりでなく多くの人の記憶によみがえる。不思議なことに為政者の記憶からは、選挙が終わると見事に消え去るようだが。
そして、3月と言えばやはり春到来、卒業の季節。学びの時の区切りとして、何年かごとに若者達が脱皮のように成長を自覚しながら、育まれた場を離れて、新しい世界に活動の場を移してゆく。これを「巣立ち」と呼ぶのは、この時への本当にふさわしいたとえだと思う。卒業が巣立ちだとすれば入学は巣作りだろうか。
育まれる者の体に合わせて作られ、包み守り育ててくれる巣。鳥なら巣は親鳥が用意するものだが、人ではどうだろう。入学して卒業まで家族に見守られながらも、身の回りに起こり様々なことに自分で対処しながら自分の世界を作っていく。
自分が育ちながら自分の世界を作っていくのだから、どこに作るか、何で作るかは用意されているものの、巣作りをするのは自分だということになる。巣作りを始めるのが入学だということだ。入学と共に自分の世界の巣作りを始め、やがて巣立ってゆく。それを繰り返しながらその度に大きくなっていく若者の姿を見守ることは子を持つ親に限らず、年を重ねる者の喜びとなる。
縁あって知り合ったS君。6年前、自分の巣のリニューアルを決心し、随分遅れた新しい巣作りを始めるべく、大学に入学した。先人達の巣を参考にしながら慣れぬ手で巣作りを学び、新しい立派な我が家を作り上げた。4年経ち巣立ちの時を迎えて振り返り、平屋の我が家に二階を作ろうと思い立ち、大学院に進んだ。
2年経ち再び巣立ちの時を迎えたこの春、作り上げた二階家に更に天守閣を作ろうと思い立った。博士課程への進学。果敢な挑戦だが不安一杯。見守る者にはそう思えた。自分の身に当てはめると未知の世界への不安が先行して、気持ちが冷えるだろうと思うが、自分の道はこれだと定めた若者の強さが迷うことなく彼を推し進め、天守閣にも例えられる博士課程入学を果たした。
それは彼の最後の巣作りだが、これ以上望めないほどの高木の太枝への巣作りで、親鳥も仲間の巣立ち鳥も賞賛と祝福にわいた。この巣作りがどのような巣立ちにつながるか、あまりの高さに強風につぶされはしないかと、見守る者は心騒ぎも覚えるが、定めた目標達成には努力あるのみ。それを達成に導くのは人智、努力の及ばぬ縁と運。
縁に招かれ運を呼ぶのは、ただ努力のみと信じて最後の巣作りに挑むS君に精一杯エールを送りたい。努力を支えるものは健康な体と心。今日も明日も健康第一に、進め!
(カナダ友好協会代表)
