コラム・エッセイ
たかが井戸端
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子新年度を迎えたが、イラン戦争、原油高、円安。物価高、消費税減税を前にした新年度予算審議停滞と話題は年度越しばかりが並んでいるが、その中で、世界で日本でかまびすしいのがSNS拡大を巡る議論。犯罪にからまる悪用例と並んで成長期の若年者の精神的成長への悪影響が指摘され、海外では一定の年齢以下の使用を禁止する法も成立しているという。
日本でも若年者の利用制限についてはあちこちで意見や議論が紹介されているが、そうなると、利用に係わる様々な体験者や、SNSとは何ぞやを解説する専門家が登場して、真剣に、面白く、真面目に解説してくれる。普段何気なく利用している手のひらサイズのスマホを介して人生を変えるような影響が利用者に降りかかるとなると、これは真面目に考えなければならない。SNSの意味や内容、仕組みをよく知っておかなければと、耳を澄ませて真面目に聞いた。
でも、聞いているうちにハタと思った。SNSって要するに井戸端会議ではないか。テレビや映画の時代劇で目にする、井戸端に長屋のおかみさん達が集まって四方山話に花を咲かせているあのシーン。うわさ話や特ダネ話、巷の評判やここだけの秘密情報の交換。でも話合いが目的の集まりではない。
洗濯だったり、大根洗いだったり、それぞれが井戸端でやる作業があって集まっているのだが、黙って作業しているよりも適当なおしゃべりを交わしている方が疲れにくいし、能率的と知って他愛のないおしゃべりや情報交換で作業時間を過ごしているのだ。
話すことが目的ではなく、何かを決めるためでもない。嫌な話は聞かなくてもいいし、相槌を打たなくてもいい。本当に必要な大切なことは、井戸端ではなく、町年寄りさんから聞く。なければいいものではない。
社交の場、うわさ話の場、うさ晴らしの場、互いの元気を確かめる場。長屋でたった一つの場なのだったら、そこに居場所がなくなるのは困るし苦痛にもなる。でも、そこで自分の今日や明日が決められるのではない。たかが井戸端会議なのだ。
仕事のための会議なら、議題もメンバーも発言内容も記録に残り、メンバーは結果に責任を持つ。情報発信型SNSも井戸端会議に似ている。発信される情報も、そこから始まるやり取りの内容も、その真偽を確かめることは出来ないし、そのことに誰が責任を取るのかも分からない。でも誰かには面白いし、役にも立っている。
たかが井戸端のおしゃべり会。手作業を楽々進めるためのおしゃべりタイム。作業が終わればおしゃべりも終り。様々な投稿サイトは長屋の井戸。今日はこの井戸端で洗濯しよう、おしゃべりがつまらなければ別の井戸に行ってみよう。あの井戸この井戸行ってみてもだめなら自分で井戸を作ってもいい。SNSの功罪は井戸端会議の功罪と同じ。無用を説くより、あれは会議ではないよと教えることの方が役立つと思う。
(カナダ友好協会代表)
