コラム・エッセイ
子連れ議員
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子生後七カ月の我が子を抱えて市議会に出席した女性議員が大きな話題になった。市議会の規則では、本会議中はいかなる理由があっても議員以外は議場に入ることができないが、「子育て世代の代表として、子どもと一緒に議会に参加して発言できる仕組みを整えるように主張したかった」と、あえてこの行動に出たそうだ。
このことはさまざまな論評、賛否両論が情報ネットワーク上をにぎわしている。この議員の行動、主張は認められるべきか否か?
ここでふと思い出したことがある。かつて日本が貧しかったころ、どこかの村か町の学校で、幼い兄弟を背負った生徒が授業を受けている姿を報じた記事のこと。記事はその子どもの行動を問題視するものでも、親を非難するものでもなかったと思う。そうせざるを得ない事情が誰にも同様に理解できるからだ。
この家族が生きていくためにはこの子が幼い兄弟の子守をしなければならない。授業を受けるためには一緒に教室に連れて来なければならない。誰もが自分のことに手いっぱいで、周囲を助ける余裕もなく、支援の社会制度も整っていない中では、それ以外に学校で勉強を続ける手立てがないことをみんながわかるから、賛否両論など起こらない。
先生と生徒以外は教室に入ってはいけないという規則があったかどうかはわからないが、この生徒を説得して幼子を教室の外に出させたり、授業開始が遅れたりすることはなかっただろう。
翻って女性議員の話。この議員の主張はわからないではない。少子化対策が隣国の核武装の脅威よりも重大な国家的課題となっている現在、子育て支援の充実、子育てと両立する女性の社会活動環境整備の促進は強く進められるべきことで、乳飲み子を抱えても議員活動ができる条件整備を要求することは正当なことだ。
だが、今回伝えられているこの議員の行動は受け容れ難い。まず第一には、現行のルールを守った上で周囲を説得することから始めるべきで、自分がルールを破った状態では、その先の主張がいくら正当でも理解は得られないだろう。
幼子を抱えての議員活動への対策が、議場への同伴許可がいいのか、託児施設の設置がいいのか、さまざまなアイデアを、周囲と問題意識を共有して検討することで初めて改善が図られるので、自分の主張こそ正義と、理解の得られないまま行動して対立するのは、意図とは正反対の結果を導くだけに終わりそうだ。
何ごとも手順を踏んで、粘り強く取り組むことが必要。普通選挙も婦人参政権も、一人の主張が直ちに実現したものではないのだから。
(カナダ友好協会代表)
