コラム・エッセイ
五月晴れ
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子四季の国から二季の国に変身したと否応なしに思い知らされた温暖化。豪雪のニュースが途切れると冬眠を忘れた熊の出没が画面を埋め、自然環境の変化をはっきりと実感させてくれる。
さくらの時が駆け足で去ると、さあ、梅雨もすっ飛ばして酷暑到来だと身構えていたら、空晴れ渡り、涼風爽やかな連日の好天。今日は五月のほぼ中日。これ、五月晴れだ。
ここ数年来、毎年桜の散るまもなく短い梅雨、酷暑に慣らされて、五月晴れという感覚も言葉も、思い出し歌う唱歌(「こいのぼり」、「五月晴れ」)の中にしか残らぬ、過ぎ去ったよき日本の自然への郷愁のようで、渡辺京二さんの名著「逝きし世の面影」の続編に採り入れられそうにも感じていたが、それが思いがけなく復活していた。
黄砂もなく澄み渡り、ギラつく暑さでないすっきりとした日差し。長袖はもう要らず、半袖で丁度いい。と言って汗ばむ熱気もなく、時折渡る風は涼しく心地よい。ああ、これ、しばらく忘れていたこの季節だなと思わず立ち止まって風の動きを楽しむ。
この素敵な心地、お天気お兄さんの解説によると、偏西風の蛇行で冷気を含む高気圧が日本上空を覆っているかららしいが、偏西風の蛇行と言えばとかく異常気象や酷暑と結びつけて報じられる、印象の悪い言葉になっている。
こんな時にも気象学の大先生にお出ましいただいて、こんないいことをする偏西風の蛇行がなぜこんな時期に起こるのか、よくよく解説していただきたいと思う。
これは愚かな庶民の偏見なのだが、異常気象、大地震、天体異常等、トランプさんでも手に負えぬ異常発生になると、私の出番とばかりに大先生が登場して、これは私がかねて唱えていた説だと得々と無知な庶民に教えを垂れ、このままだといずれこうなるぞと近未来の異変を迫真の口調と身振り手振りで語られる。いいことが起こっているときにも、なぜそうなったのか、誰もが自然の営みを筋道立てて理解出来る機会を公平に作って欲しいと思う。
この世界、人の世の出来事はウクライナ戦争、イスラエル戦争、イラン戦争、利害や信条の対立が絡んだ出来事の成り行きは、なぜそうなったのか誰もが納得する説明は出来ないことばかりだ。
人間世界以上に分からぬことばかりの自然の営みの解明には、利害信条では対立する人達も同じ立場で取り組めるから、利害信条の相違を超えて誰にも一様に納得できる説明を聞かせて欲しいと思う。
この数日、気持ちよく過ごしていられる快適さが、偏西風の蛇行が去るともう帰らぬ「逝きし佳き日」となってしまうのか、あの大先生、いつもの口調で解説していただきたいと思うのだが、もう間に合わないかもしれない。来年のとっておきの話題として準備をお願いするにはどうすればいいのだろう。先ずは日々お元気に研究にお励みください。
(カナダ友好協会代表)
