コラム・エッセイ
No.56 農村の希望(1)限界集落⑱ 四万十川中流の集落を訪ねて(十一)
中須里山通信 形岡 瑛吉野さんは手を休めることなく作業を続ける。
「6月末から10月にかけてはシシトウにかかりきり。1パック100円程度。一日に100個詰める。午前5時半頃から10時頃まで収穫。夕方まで詰める。最盛期は夜中まで作業する。年間で100万から150万、1本の木で6,000円になればいい方。一番良いときには1万円になるがこれも博打みたいなものだ。病気になったり台風で被害を受けたり…」
農業は重労働でもあり、収入も少ない。 だが、吉野さんは云う。
「農業は自由だ」
吉野さんは、集落の区長を5年務めた。
集落は61戸、40代、50代、60代の独身が多い、という。
明治維新後、廃藩置県から市町村制が施行される過渡期に大中小の区制が施行され、区の議会は「民会」と呼ばれた。高知県では、小区の議員が公選制で、選挙資格は財産による制限がなかった。集落には、全員参加の「惣民会」があった。座席がくじ引きで決められ、席に番号が付してあり、個人名ではなく席番号で発言と賛否が記録される。だれもが、一人の構成員として平等なのである。この民会の仕組みができたのは、自由民権運動の拠点の一つであった高知の山間部に運動が拡がっていった時期、明治14年である。それが継続され、自発的な共同の力で、共同の資産として広葉樹林を活かし、戦後の困難期に椎茸を産業化し、全国屈指の産地に発展させた原動力になったというのが、大野先生の強調するところである。
吉野さんの「自由だ」という言葉はその歴史の水脈から湧き上がってきたものに違いない。
シシトウをパックに詰める吉野清水さん(2009年7月6日)
