コラム・エッセイ
第14回 スペイン・インフルエンザにかかる人々ー続く第二波
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐前回に引き続き、今回も山口県内におけるスペイン・インフルエンザ「第二波」についてみていきたいと思います。
1920(大正9)年1月22日、「山口の流感」という記事で、山口町(現山口市)において16日より20日まで5日間のインフルエンザ患者は116名(内死亡6名)で、昨年から累計907名になったことが報じられます。そして、同日には「流感の死亡者は壮年者に多い」という記事も掲載されます。その記事を読むと、1月8日から14日に至る一週間中の死亡者が県内で1千名を超えており、その内訳を年齢別にみると20歳から30歳までの男女が一番多くて240人、次が30歳から40歳までで197人であったと言います。
この分析に基づけば、山口県内では働く世代の死亡が多かったと言えます。これは、スペイン・インフルエンザが壮年層に伝染しやすかったのかもしれませんし、より多くの人に接する機会のある年齢層に広がったとも考えられます。これだけでは何とも言えませんが、特に影響が壮年層に広がったことは、労働者を直撃することになり、山口県の社会経済にとって大打撃となりました。
第二波の勢いは1月下旬に入っても治まりません。1月23日、まず掲載されたのは下関市です。「猖獗」(しょうけつ)という程度がはなはだしい表現を用いて掲載された患者数は、現在までに累計6千名の患者を出し、死亡者が313名出ていたというものでした。周防村(現光市)では、人口2,500人のうち、58名が罹患、6名が死亡したことをうけ、小学校児童に対してマスクを使用するようにしたことが報じられています。
1月23日の記事に掲載された県内の患者数は、この時点で17,936人、死亡者が969人というものでした。これは当時の山口県民の18%程度がインフルエンザに罹患したことを意味しています。更に恐ろしいことに、2日後の25日の記事では、累計患者が31,332人、死亡が1757名と2日前の集計から激増しています。
現代と同じように、県内各所ではマスクを使用し、ワクチンを投与していたはずだったのですが、一向に流行は治まる気配がなかったのです。
防長新聞』1920年1月22日=県立山口図書館所蔵
