コラム・エッセイ
第4回 猛威をふるい始めるスペイン・インフルエンザ
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐1918年10月24日の『防長新聞』に、山口中学校で蔓延するスペイン・インフルエンザに関する続報が載ります。
「山中の休業」という見出しで、前日より短い報道ですが、流行が「極めて猖獗(しょうけつ)」(猖獗は、猛威をふるっているというような意味です)とし、「其原因は未だ明確に之を知る能はず」としています。さらに、もし今後も蔓延が続けば「由々敷大事件也」(由々敷は「由々しき」)としていました。
前回ご紹介した記事では、あくまで通常のインフルエンザという認識でしたが、一日経ってかなり緊迫した状況になっていることがわかります。短期間でありながら、徐々にその危険性に気づき始めたのです。
翌25日に「流行性感冒猖獗 山中の其後」という記事が載ります。3分の1の学生が罹患した「山中」でしたが、初期に罹患した学生たちは回復しつつありました。しかし、教員にも感染が拡がるなどまだ収束したとは言えない状況でした。
そのようななか、校内の消毒が行われます。用いられたのは日光と薬品とあります。おそらく、校舎外に持ち出せるものは天日にさらしたのでしょう。興味深いのは、「本病は患者自身にては全癒せりと思ひ居るも尚ほ体内に潜伏し居る」ため、授業再開後も油断ならず、保菌者を早急に発見しようとしていることです。
今でも発症するまでの「潜伏期間」についての注意喚起がなされますが、当時も潜伏期間に対する対応がなされていたことがわかります。
同日の記事では、山口市内の他の事例も報告されます。例えば、山口師範学校付属小学校(現山口大学教育学部付属山口小学校)では、24日に患者数が70人にのぼったため、学校閉鎖を決定したことが報じられます。さらに、山口市外の報道も掲載されます。厚狭郡高千帆村(現在の山陽小野田市)では、インフルエンザではなく「奇病」としていますが、410人あまりの発熱する患者が出たことを報じています。
また、阿武郡のいくつかの村では「インフルエンザが流行し殆んど戸毎に同感冒に罹らざるものなく甚しきは一家戸を閉ぢ病床にあるもの多し」と、すでに一般家庭にもインフルエンザが及んでいることが報じられます。スペイン・インフルエンザは着実に県内各地に広まっていったのです。
もちろん、周南地域も例外ではいられません。着実にその魔の手は山口県の東側にも迫っていたのです。
1918年10月25日=県立中央図書館所蔵
