コラム・エッセイ
第6回 スペイン・インフルエンザに襲われる周南地域(2)
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐前回、山口県東部においてひろがるスペイン・インフルエンザについて紹介しました。今回はその続きからみていこうと思います。
1918(大正7)年10月28日の『防長新聞』の記事では、前回ご紹介した以外に、岩国中学校(現県立岩国高校)では30名、岩国小学校(現岩国市立岩国小学校)では20余名が罹患している状況が報じられています。記事では、「大いに流行」しているため、一家枕を並べて罹患してしまっている状況だとしていました。家庭内でインフルエンザが流行ってしまったのです。防府町(現防府市)でも、例えば松崎小学校では全校生徒の半数が罹患してしまい、その他の小中学校でも罹患者が増加傾向にありました。
こうして罹患者が激増するいっぽうで、柳井町(現柳井市)では、まだ罹患者が確認されていませんでした。そのため、「欠席中の生徒」がなぜ休んでいるのかを調べて、さらに全校生徒の健康診断を行っていました。少しでも疑いがある児童は「隔離」して、手当を施したそうです。インフルエンザ蔓延を防止するために、必死に取り組んでいたのでしょう。しかし、残念なことにこの時点ですでに山口県内で悲劇が起こっていたのです。
10月27日の記事では、美祢郡於福炭鉱の工夫で、スペイン・インフルエンザに罹患した2名が「急性肺炎を併発」して10月25日にすでに亡くなっていたことが報じられます。さらに、29日の記事では、26日に山口中学校でも1人の生徒がやはり肺炎を併発して亡くなってしまったことが報じられます。いよいよ、スペイン・インフルエンザの猛威は人の命をも奪い始めていたのです。
1918年10月29日『防長新聞』=県立山口図書館所蔵
