コラム・エッセイ
第7回 初期のスペイン・インフルエンザに対する対応
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐前回は遂にスペイン・インフルエンザに罹患した人から、急性肺炎を併発して死者が出てしまったことを紹介しました。今回は、このような状況下でどのような対応をしようとしていたのかについて紹介したいと思います。
1918(大正7)年10月27日の山口高等商業学校(現山口大学経済学部)の罹患者増を報じる『防長新聞』の記事のなかで、対応方法をめぐって興味深い記述があります。例えば、「二、三日間にて全癒」することから、病床をひっ迫させないため「旁舎内にて」健康な人が看護をするという判断をしていました。今でいうと自宅療養をお願いした、ということでしょう。
また、「多数人の集団する処」では流行する傾向にあるから、「芝居小屋、活動写真等に入場」しないようにとしていました。現在でも気を付けられていますが、「密」を避けたわけです。「密」になりやすい場所が「芝居小屋」「活動写真」というのが時代を感じさせます。今でいうと、映画館や劇場、ライブ会場ということになるでしょうか。
10月29日の記事では、私立鴻城中学校(現山口県鴻城高等学校)が休校にあたって家庭に配られた注意書が掲載されています。その内容を一部要約して紹介すると、罹患していない生徒も外出禁止、再開時に発熱していたら登校しない、発熱したら首を冷すこと、罹患すると喉が痛くなるので「食塩水」や「塩酸加里水」(塩素酸カリウムでしょうか)でうがいすること、普通は3、4日で治ること、健康であっても予防の為にうがいをすること、といったものでした。
塩素酸カリウムでうがいをするのは少々危険なように思いますが、罹患した人だけでなく、いかに予防するかにも気を配っていたことがわかります。他の記事でも類似した指示が見受けられますので、おそらく山口県の文教施設全体でこのような指示がでていたものと考えられます。
ただ、このように予防するための努力がなされましたが、スペイン・インフルエンザの蔓延の勢いはこのあと一層苛烈になっていくのです。
1918年10月29日『防長新聞』=県立山口図書館所蔵
